弦巻勝のWeb将棋写真館

連勝と運

更新: 2015年9月4日

麻雀で「若い人は引きが強いからねぇ~。」と高齢の方に言われ「なぁ~に実力よ。」と言って胸を張っていた昔。簡単に自模(ツモ)って平凡な手役も裏が乗って満貫。今はなかなかそのような事は無いですね。

確率論を無視しても運が味方していたように思います。なぜか連戦連勝でした。

時々森けい二九段と競艇に行くのですが、同じギャンブルの競馬と違い、6艇の勝負ですから当てるのは簡単だと判断していると、これがなかなか難しい。確率と運について考えさせられます。

コンピューターがここまで発達したのだから2、3年分の選手のデータや競艇場のレース結果など入力すれば何とかならないのかと思いますが、それでも運は除けないように思います。
屋敷伸之九段は若い頃から競艇が趣味。九段、詳しいから今度会ったら教えて頂こうと思います。

屋敷伸之九段と言えば奨励会の頃、『週刊ポスト』の企画で塚田泰明九段と角落ちの勝負を企画した事が有りました。先崎学九段も同じ奨励会三段でしたので出てもらいました。
塚田泰明九段がタイトル獲ったり連勝したりでのっている頃だったと思います。

結果はどちらの将棋も下手の勝ち。終わってから塚田九段に
「角落ちでは無理だよぉ~。」
とぼやかれました。自分でも変な企画をしたものだと今は思っています。

結果だけを見ていると若さと運と実力が重なって連勝になるような気もしますが、その辺りは、どうなのでしょうか・・・?
神谷広志八段の若い頃の28連勝は、未だ破られていないですよね。丸山忠久九段が24連勝で塚田泰明九段が22連勝。この頃、なぜ連勝かと先生方にいろいろ質問して聞きましたが、結局解らなかったです。

升田幸三先生が連勝している頃、
「先生好調ですね・・・。」
の問いかけに先生は
「僕の場合は好調とは言わない、順調と言う」
そんな会話を将棋の本で読んだ記憶です。
升田先生の順調と言う言葉には運なんて入って無さそうですよね。

先日森けいじ九段とまた競艇に行ったのですがかなりの高配が当りました。これ順調じゃあ無くて運が良かったんですね、実力と若さは僕に無い訳で運だと思います。

掲載写真についてのミニ解説(サイト編集部記)

写真上から順に(1):
昭和59年6月9日に行われた早指し新鋭戦決勝戦(脇謙二六段 対 神谷広志五段戦)収録時の一枚。対局が始まる前か終わった後かは不明だが、向かって左から神谷五段、塚田泰明五段、脇六段。対局は、脇五段が173手で勝っている。
写真(2):
昭和61年11月7日に行われた第28期王位戦予選で塚田泰明六段は対戦相手の佐藤大五郎八段を下し、21連勝を達成。終局後の囲みのインタビューを受けている時の写真。その前々年に有吉道夫九段が20連勝を達成していた。この記録は、おそらく今後破られることがないだろう、とさえ言われていたが、弱冠22歳の塚田が記録を塗り変えた。その後の対局で小堀清一九段にも勝った塚田は、22連勝の新記録をうちたてた。対戦相手もタイトル保持者、A級相手に7勝、順位戦で5勝、新人王戦決勝戦での2勝も含まれていた。なお、塚田の連勝記録をストップしたのが、谷川浩司棋王だった。
写真(3、4):
写真(3)は、昭和62年7月10日の第6回全日本プロトーナメントで滝誠一郎六段戦に勝った神谷広志五段。どういうわけか、この数年にいままで更新不可能かと思われた連勝記録が次々と塗り替えられた。前年に塚田泰明六段の22連勝こそ不倒の記録かと思われたが、神谷五段がこの対局に勝ち、23連勝の新記録を樹立した。
写真(4)は、同じく神谷五段がさらに連勝を伸ばし、28連勝を達成した第51期棋聖戦本戦(昭和62年8月17日)での一枚。対戦相手は、米長邦雄九段。なお、この記録は、28年経った現在においても未だ破られていない大記録である。ちなみに、手前で対局しているのが、向かって左が菊地常夫六段、右が塚田泰明七段。
写真(5):
向かって左が神谷広志五段、右が塚田泰明七段。先に書いた通り昭和62年8月17日に両者共対局があった。その晩、28連勝達成祝いの一席が設けられ、そこでの一枚。連勝記録1位と2位のツーショットだ。
写真(6、7):
昭和62年に週刊ポスト誌上の企画で行われた角落ち対決の時の模様。塚田は当時七段で写真(8)でも記載するが昭和62年9月には王座戦でタイトルに初挑戦し、新鋭若手棋士の中でも当時最も勢いがあった。写真(6)が先崎学三段。写真(7)は、屋敷伸之三段。この後、屋敷、先崎ともすぐに四段となった。
写真(8):
昭和62年9月1日、第35期王座戦五番勝負(中原誠王座 対 塚田泰明七段戦)第1局の朝に着付けをする塚田泰明七段。着付けを手伝っているのが第1局観戦記を担当した高柳敏夫八段。塚田はタイトル戦初挑戦で和服の着付けに相当手古摺った。何とか着たものの、それが左右が逆であった為、対局開始が定刻より少し遅れてしまった。対局は、中原の中飛車に塚田が敗れ、初のタイトル戦での対局は塚田にとって辛いデビューとなってしまった。次の第2局も塚田が負け、2連敗となるが、なんとその後3連勝し、王座のタイトルを獲得した。