弦巻勝のWeb将棋写真館

中原誠 無心の挑戦(2)

更新: 2015年6月20日

「無心の挑戦」まえがきに昭和60年王将獲得の翌朝に書き始めた事、半生記はまだ早い事、資料はすべて父がスクラップしたものからや、五冠から無冠になった頃、人は見方が違う事がショックと書き始めている。
この本を新たに読んで感じた個所を抜粋して書きだしてみます。

「一目で何手読むかの問に『百手くらいでしょう。5~6の筋を20手くらい、有力な筋は30手くらい、実戦の時は同じ筋を3回読む。』」

「四段39勝9敗 五段47勝8敗。中原自然流と人は言うが自然はそよ風と小川のせせらぎと台風と洪水も自然現象。」

「早く起きるのは苦ではない、対局に合わせ夜型に意識して変えた事も有る。」

ライバル
「大山先生は別格。内藤、有吉、加藤、米長。相手の癖が気になる時はダメな時。」

芹沢博文
「米長は確かにキレるが早く斬りにくるから浅い。中原は深く斬る。」

井上光晴
「自然流、なかなか口で言えても実際の場で出て来ない。天性のものが溢れている。」

永井英明
「よけいな事かも知れませんがゴルフに行くときどんな嵐が前日ふいていても中原さんが行くときは天気になる。これも人徳の一つですね。」

五冠から無冠の頃、原田泰夫
「見落としや錯覚がやはり有ります。スケジュールが過密も原因でしょう。あの人は将棋の神がこの世に送った人です。負けたのは神様が彼に休みを与えたようなものです。風車風の吹くまで昼寝かな。」

3年ぶりの名人位復活
「以前と同じ気持ちでは新しいステップは無い。私は初めて署名の無い白扇を使った。縁起や意味をもたせようとしたつもりは無い。自然に白扇を選んでいた。」

この後高柳家での10年間の修行時代の話になる。これがまた面白く読める。デパートとアパートの違いが解らなかった事や二歩を指して「ロン」と言われた事。上野で大道将棋に挑んだ事など今の奨励会や若手棋士にも読んで欲しいと思う。

掲載写真についてのミニ解説(サイト編集部記)

写真上から順に(1):
昭和59年10月16日、第32期王座戦五番勝負(中原誠王座 対 森安秀光八段)第5局終局後の模様。前年まで三番勝負であったが、この年から五番勝負となった。挑戦者森安の2連勝となり、中原は崖っぷちに立たされたが、第4局目に大逆転勝利をおさめ、そこで勝負の流れが変わった。2連敗のあとの3連勝で防衛に成功した。対局場は関西将棋会館で行われた。前日に中原は会館近くのホテルに宿泊したが、世界的な大指揮者カラヤン率いるベルリンフィルも同宿であった。夜まで楽器の練習が行われて、中原は、どうなることかと肝を冷やした、と当時発行の『将棋世界』のインタビューで答えている。ちなみに、練習は夜の9時半くらいまでで終わったようだ。
写真(2):
昭和59年11月7、8日、第23期十段戦七番勝負(中原誠十段 対 米長邦雄王将)第2局の時の写真。対局は神奈川県「陣屋」で行われた。前回でもかいた通り、混戦の挑戦者リーグを勝ち抜いた米長が4年振りに中原に挑戦。フルセットの末、米長がタイトルを奪取した。
写真(3):
昭和61年2月20、21日、第35期王将戦七番勝負(中原誠王将 対 中村修六段)第4局の写真。滋賀県「彦根プリンスホテル」で行われた対局は、挑戦者中村が3連勝とし、この対局に中原が負ければタイトルを失うばかりか、ストレート負けとなり、(香落ち)指し込みと記録されることになるので、注目の対局でもあった。しかし、そのプレッシャーを撥ね退け勝利し、指し込みは免れたものの、結果2勝4敗で王将のタイトルを失冠した。
写真(4):
昭和62年9月1日、第35期王座戦五番勝負第1局の写真。東京「福田屋」で行われた。新鋭塚田泰明七段が中原誠王座に挑戦し、1局目、2局目と塚田が連敗したが、そこから3連勝で初タイトルを奪取した。なお、第1局の記録係は森内俊之四段が務めた。
写真(5):
昭和63年12月19日第53期棋聖戦五番勝負は、同門対決となり、田中寅彦棋聖に中原誠王座が挑戦した。この写真は、愛媛県松山市「宝荘ホテル」で行われた第2局の時の写真。勝負は、フルセットまでもつれ、最終的には中原が棋聖を奪還し、兄弟子の貫録を見せた。
写真(6):
平成元年9月1日、第37期王座戦五番勝負第1局(於・東京「福田屋」)終局後の写真。中原誠王座の挑戦者は青野照市八段で青野自身タイトル戦挑戦は初登場であった。この第1局に、写真には写っていないが作家の山口瞳氏も訪れている。戦いはフルセットの末、中原が防衛。青野は、中原を土俵際まで追い詰めたが、惜しくもタイトル奪取とはならなかった。
写真(7):
平成2年2月2日、第55期棋聖戦五番勝負第5局(於・静岡県下田市「清流荘」)の写真。中原誠棋聖に挑戦したのは、タイトル戦初登場となった屋敷伸之四段は、最年少タイトルホルダーを狙う新進気鋭棋士であった。結果、親子ほどの年齢差から、やりにくさはあったものの中原が3勝2敗で棋聖を防衛。屋敷は局後のインタビューで「いい勉強になりました。また出直します。」と答えた。そして、その言葉通り、次期棋聖戦で再び挑戦者として登場し、中原から見事タイトルを奪取。最年少タイトル保持者となった。
写真(8):
平成4年6月11、12日に行われた第50期名人戦七番勝負(中原誠名人 対 高橋道雄九段)第6局終局後の模様。群馬県伊香保温泉「福一」で行われた。カド番に追い込まれた後手番の中原は、この対局で横歩取り3三角戦法を採用。激戦を制した中原は、続く最終局も勝ち、名人位を防衛した。