弦巻勝のWeb将棋写真館

特別原稿「天野貴元(元奨励会三段)さん」

更新: 2015年11月19日

天野貴元(元奨励会三段)さんが亡くなった。
通夜に行くと多くのプロ棋士が来ていました。佐藤康光さん、渡辺明さん、羽生さんの奥様、そして若手棋士の多くが弔問におとずれていました。
天野さんの将棋に対する情熱と一途な生き方に心打たれた多くの人が高尾の宝泉寺に居ました。
彼の本、宝島社刊行の「オール・イン」関連の撮影で僕が天野さんに会ったのは昨年3月。御徒町の道場でした。

タイトル戦の記録を彼は良くやっていたので前にも何度かお会いしていました。しかし、すでに普通に話をする事はままならず、小型のボードに筆談での会話でした。

苦しい放射線治療を受けているだろうに、僕の顔見ての笑顔。しっかりと相手の目を見、書く字には彼の精神力の衰えはまったく感じませんでした。すべてを受け入れ、将棋に身を任せる覚悟がカメラまで届きます。目の奥に優しさが溢れていてボード無しでも僕のカメラで心通じました。
6月に天童で行われたアマチュアの将棋大会にも宝島の編集担当と行きました。この時彼の集中力有る対局も印象的でしたが、対局後に撮ったポートレートは、あのギョロっとした目が笑顔で細くなっている絵は今も忘れません。

最後に撮ったのは本山の将棋連盟で行われた彼の和服を着ての対局でした。今年の2月7日とても緊張している彼が其処に居ました。
残されたすべての時間を将棋に捧げる彼を僕は美しいと思いました。30年と短いが、覚悟して生きた人生を僕は美しいと思いました。合掌。

掲載写真についてのミニ解説(サイト編集部記)

※天野貴元(元奨励会三段)さんは、奨励会三段リーグに在籍したていたが、年齢制限で第50期を最後に退会。その後、アマチュアとして将棋に関わる活動をしていた。丁度その頃、舌癌を患っていることが分かり、将棋から離れていた期間もあったが、第51回赤旗名人戦で優勝し、その資格で平成27年度前期奨励会三段リーグ編入試験を受験した。結果は、4勝3敗と合格とはならなかった。その後も闘病しながら、最後まで将棋大会に出場したが、平成27年10月27日に死去。享年30。著書に「オール・イン」(宝島社)。

写真上から順に(1):
平成26年3月10日撮影。御徒町将棋センターでの一枚。
写真(2):
平成21年4月9、10日に東京・文京区「椿山荘」で行われた第67期名人戦七番勝負(羽生善治名人 対 郷田真隆九段)第1局2日目昼休明けの時の模様。天野貴元三段が記録係を務めた。天野さんは、奨励会在籍中に男性棋戦、女流棋戦を問わず、数多くの記録をとっていた。
写真(3):
平成27年2月7日に行われた、平成27年度前期奨励会三段リーグ編入試験の時の一枚。第51回赤旗名人戦に参加し、そこで優勝した天野さんは、奨励会三段リーグの編入試験の受験資格を得て、平成27年2月7日から3月15日まで7戦対局をした。結果は、3敗を喫し、不合格であった。試験は奨励会二段と8局指し、6勝をすることが合格条件となっている。この時のことは、多くのマスメディアでもとり挙げられている。
写真(4):
平成16年12月29日撮影。雀卓を囲んでの写真。左から天野貴元(元奨励会三段)さん、島朗九段、阿久津主税八段、菊地裕太(元奨励会三段)さん。この時の第36回奨励会三段リーグは、10月から翌年3月まで行われ、広瀬章人三段(現八段)と長岡裕也三段(現五段)が昇段した。