弦巻勝のWeb将棋写真館

加藤一二三九段

更新: 2015年8月5日

日付が変わる頃、将棋が終わった棋士の多くが新宿2丁目のスナック「あり」に顔を出す時期が有りました。
マスコミ、出版関係の方々が多かったと思います。話題に挙がる棋士で一番は加藤一二三先生でした。酒の肴の話題は明るく面白い話じゃあないとダメですからね。
「対局場の滝を止めたらしい」、「3時のおやつに板チョコ5枚喰った」、「師匠首にしたって言うじゃん」、「そうそう加藤さんの猫どうなった・・・ネクタイちっと長くね~?」

あれは米長先生と二人で「あり」に行った時。
「つるさん、明日対局が始まる前に四谷の聖イグナチオ教会の前で待っていればかならず加藤さんが来るよ、ぜひ撮ってみてくれんか?」
加藤先生を一番理解していたのはたぶん米長先生では無いかと思います。まだパパラッチなんて言葉を聞いた事が無い時代でした。

翌日、四谷は福田屋で行われるタイトル戦に加藤一二三先生が出場なんです。まあ、教会の方には来ないかもしれないけど、米長先生と撮ると約束もしたし、そのタイトル戦は開始から撮影になっていましたから僕は少し早めに家を出て隠し撮りやってみようと行きました。

讃美歌を口ずさみ、軽やかな足取りで教会に向かう加藤先生を高台の土手から撮影しました。教会に来られたんですよね。さすが、米長先生読み切りか?僕はコソコソするのも嫌だったのでスッと茂みから立ち上がり挨拶しました。
加藤先生、手を振って笑顔でした。どちらの先生も読み切りなんですね。

「ありゃ、普通じゃあ無いね」と人は言いますが、どの世界でも天才同士の戦いで普通にやって勝てればそれに越した事は無いでのすが、将棋のトップの戦いはそんなものじゃあないんですね。
神頼みしかり、努力して努力して辿り着く境地のなせる業、なぁ~んて僕は思います。

加藤先生の息子さんの結婚式の頃ですから30年も前かと思いますが、式を撮って欲しいとの依頼。僕は雑誌を撮るのがメインで営業写真館的な仕事はどうもその~と生意気。でも何度も電話を頂き押し切られました。加藤先生は基本、明るくて普段の対局の撮影でも表情は多いし、喜怒哀楽が直に出るから、テレビとか映像に向いているとおもいます。
結婚式の撮影のお礼にと吉祥寺のお寿司屋さんに招待され、音楽の話が中心で二人で軽くお酒を呑みました。

帰りにバッハのミサ曲レコード2枚とたぶんバチカンの高級ブランデーと思う品を頂きました。これが、かなり凝った木の箱に入っていてボトルのキャップは十字架になっているんです。
「普通じゃあ無いね」
これ、もったいなくて呑めないでしょう。しかも2本もです。

掲載写真についてのミニ解説(サイト編集部記)

写真上から順に(1):
撮影日詳細不明。色紙の肩書が「棋王」であり、背景のカレンダーの日付から、第3期棋王時代の昭和53年11月頃と思われる。加藤一二三九段の色紙は、力強い筆運びが特徴で、今も全く変わらない。
写真(2):
第28期王将戦七番勝負(中原誠王将 対 加藤一二三棋王)第5局(昭和54年2月7、8日 於・埼玉県秩父市「美やま温泉」)での一枚。加藤は、この対局に勝って4勝1敗で自身初の王将位を奪取した。
写真(3):
聖イグナチオ教会で撮影された一枚。将棋棋士と教会という一見ミスマッチにも思える2つが、こうやって一緒に写っているところを見るとピッタリ嵌るのが不思議だ。弦巻カメラマンが棋士の内面を写し出した出色の写真と言えるだろう。
写真(4):
第40期名人戦で4勝3敗(1持将棋、2千日手)の末、自身初の名人位を42歳で奪取した。月刊「将棋世界」で特集記事を組み、東京・渋谷区「将棋会館」の前でその時に撮影されたもの。別のカットが「将棋世界」に掲載されている。
写真(5):
第40期名人就位式(昭和57年9月16日)での加藤一二三名人。右側でマイクを持っているのが加藤治郎名誉九段。
写真(6):
第25期王位戦七番勝負(高橋道雄王位 対 加藤一二三九段)第6局(昭和59年9月6、7日 於・東京・羽沢ガーデン)終局間際の模様。3勝2敗と高橋が王位防衛にあと1勝で迎えた第6局であったが、加藤が矢倉の将棋を快勝し、3勝3敗のタイに持ち込む。続く第7局で加藤が勝利し、王位奪取となった。しかし、翌年の第26期王位戦で今度は挑戦者として高橋六段が挑み、4連勝で奪還した。
写真(7):
昭和61年1月24日、第4回全日本プロトーナメント準々決勝戦(米長邦雄十段 対 加藤一二三九段 於・東京・渋谷区「将棋会館」)ので昼休明けの一枚。ちなみに記録係を務めているのが櫛田陽一二段。加藤は、この対局に勝ち、さらに決勝まで進み、谷川浩司前名人と三番勝負を戦ったが、谷川が2連勝し、優勝はならなかった。
写真(8):
加藤一二三九段に対する聖シルベステル騎士団勲章の贈呈式が昭和61年5月1日に東京・文京区「東京カテドラル聖マリア大聖堂」で行われ、その時に撮影された一枚。この写真は、新潮社刊の写真週刊誌「FOCUS」(2001年休刊)から依頼されて撮ったものということである。なお、東京カテドラル聖マリア大聖堂は丹下健三氏の設計でも知られている。聖シルベステル騎士団勲章を受賞の挨拶で加藤は、「長年の信者としての活動が認められて非常に感激です。これからもいっそうこの道に励んで行きます。」と話した。
写真(9):
日本たばこ杯争奪第8回将棋日本シリーズ決勝戦(大山康晴十五世名人 対 加藤一二三九段)が昭和62年11月29日に「愛知県文化堂」で行われ、加藤が96手で勝って優勝した。恐らくその後の記念撮影でのものと思われる。
写真(10):
名人戦の巻でも記載したとおり第40期名人戦七番勝負(中原誠名人 対 加藤一二三十段戦)は、名人戦史上稀代の激闘シリーズとなり、持将棋、千日手を含め計10局が行われた。昭和57年7月5、6日「湯河原 清光園」で行われた第7局の封じ手の時に撮影された。この対局では中原名人が封じ手を行った。その間下を向いて何かを思う姿は、求道者のように見える。