弦巻勝のWeb将棋写真館

羽生の頭脳

更新: 2015年5月4日

我が家の本棚を観ていたら『羽生の頭脳』の初版本が7冊ほど有った。
で、パソコンでそれを検索してみたら、画面に出たその本の写真は僕の撮った羽生さんの表紙じゃあ無い。
初版から20年以上も経ったわけで今ネットで販売している本は改訂版で別のカメラマンが撮ったと言う事になる。

平成4年将棋連盟の書籍課から
「羽生さんの本を出版するので、つるまきさん、表紙を撮って下さい。」
売れっ子で忙しい羽生さんだが、その頃も充分忙しい身だったと思う。で、僕は「2~3分有れば撮れますよ」と伝えた。

シンプルな表紙を撮るのに、普通カメラマンはホリゾントを白にしてスタジオでトーマスとかフレンチバルカーの1200Wくらいのストロボで撮る。
その頃はスタジオで撮るのが常識。そんな時代だった。しかし羽生さんに時間は無い。
最近、中原誠十六世名人と呑んだ時、バブルの頃、中原さんはスタジオで写真を撮られた事が有り、
「半日以上かかって大変でしたよ。」「あれ、弦巻さんならすぐに終わるのにねぇ~。」「そう僕なら3分。」「なんせいい加減ですから・・・(笑)。」
人物写真は慣れも必要。
雑誌の対談などで人物写真を撮る時、カメラマンは、たいていは話をしている人を狙う。でも僕は話を聴いている側の人を撮る。これは対談やインタビューを何百回と撮って来て、その方が自然な顔が写るとの判断だ。

カメラマンも若い頃は派手目な絵を好み、話をしている側にインパクトを感じ撮る。自分もそうだったが爺になった今、普通に撮る方が難しいが、そのほうが撮られた人物の人柄が出やすいと思う。
そんな事とは別に羽生さんは表情が多くて、ただ適当にシャッターを斬っていれば絵になっちゃう。

初版の『羽生の頭脳』はいろいろな戦法の本で結局10巻出版された。
依頼された時、出版しても上下巻の2つくらいだろうからフイルム1本36枚撮れば充分と判断していた。その時は、それこそ3分くらいで20カットほど撮ったと思う。
数日後、出来上がった1冊目の見本が送られて来た。ペラペラと中身を見て、難しい本だなぁ~と思い、売れねぇ~な、と思った。
ただタイトルとデザインのセンスが抜群。土方芳枝さんのデザインだ。当時、将棋世界誌の表紙やグラビアページも彼女が一人でこなしていた。彼女のレイアウトに救われた僕のグラビアはとても多い。結果、翌年にばら売りが終わると10巻をハードパッケージに詰めて販売された。
書籍の担当は近年に無いヒットだと言う。良くまあ20カットの撮影ですんだと思う。20カットの中にアレ、ブレ、ボケ無かったのかねぇ~。

アレ、ブレ、ボケと言えば写真の勉強をしている頃『まずたしからしさの世界をすてろ』 と言う本がプロカメラマンの間で話題になった。
これは、その頃を代表する写真家の本で森山大道、中平卓馬、それに好きな高梨豊さんも入っている「写真と言語の思想」と言うサブタイトルが書いてある。やけに哲学的な内容。
やはり売れねぇ~と思った。しかし当時870円で買ったこの本が今ネットで2~5万する。 その頃、スーザン・ソンタグの『写真論』も買って読んだ。こちらの方は内容が少し解りやすいが、現在値上がりはしていない。
神田神保町にアカシア書店が有る。此処は将棋囲碁の本の専門。店主の星野さんに今度お会いしたら、どのような本が値上がりするのか聞いてみようと思う。

掲載写真についてのミニ解説(サイト編集部記)

写真上から順に(1):
羽生善治四段のデビュー戦の時に撮影された写真。昭和61年1月31日の第36期王将戦1次予選で宮田利男六段との対戦で、白星で飾った。なお、谷川浩司(九段)が覗き込んでいる別カットがフォーカス誌に掲載された。
写真(2):
羽生善治名人、森内俊之九段、佐藤康光九段が若手時代の頃参加していた研究会で有名なのが通称「島研」と呼ばれていた研究会で島朗九段が主催していた。この写真が撮影されたのが平成元年5月12日ということである。しかし、この写真を見ると現在の森けい二九段、森下卓九段、先崎学九段の姿もあることから、島研ではなく、当時森九段が主催していた研究会ではないかと思われる。この研究会にも羽生を始め、森内も参加していた。
写真(3):
ホテルの洗面所で歯を磨く羽生善治棋聖。弦巻氏曰く、「タイトル戦の朝、羽生さんの部屋に押しかけて撮った写真。」平成6年7月5日に新潟県岩室温泉・高島屋で行われた、第64期棋聖戦五番勝負第3局(対 谷川浩司王将戦)で撮影された。「将棋マガジン」の企画で羽生(名人)を数日追いかけ撮ったものとのこと。
写真(4):
将棋棋士の脳の研究は、比較的最近に「将棋棋士の直感の脳科学研究」として理化学研究所でも行われ、その研究成果も発表されている。(詳しくは、将棋棋士の直観の脳科学的研究-将棋プロジェクト-参照。)だが、それよりもだいぶ以前にすでに取り組まれていた。
弦巻氏によると以下の経緯であったとのこと。
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品川嘉也日本医科大学教授は右脳研究の第一人者で俳句の会「雲雀」の主幹をされていた。僕の知り合いの編集者がこの俳句の会のメンバーで紹介され先生と友達になった。何度かその俳句の会に参加していた。
品川先生は将棋がお好きと知り、真部(一男九段)さんに声かけたら彼も参加するようになった。その後先生が棋士の脳を調べたいとおっしゃる。で、谷川浩司(九段)、羽生善治(名人)の脳を調べる流れになった。この企画を僕が写真を撮り「フォーカス」誌に掲載して話題になった。
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写真(5):
作家・渡辺淳一さんと羽生善治(名人)のツーショット。これも弦巻氏のコメントを以下に記しておく。
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文藝春秋の「オール讀物」の企画で先生が著名人と数局指す企画で僕が写真担当。その時銀座料亭「万久萬」で撮ったもの。
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なお、当時から渡辺氏と親交の深かった田丸昇九段は、
"作家・渡辺淳一さんは、
「天下を取るにはギラギラしたものよりも愚鈍なところがなくてはいけない」と、よく語っていました。自身の将棋も地道な手を重ねて頑張り抜く棋風でした。"
と語る。
写真(6):
第44期王将戦七番勝負第2局の時の羽生善治名人・竜王。相手は谷川浩司王将だった。この対局は平成7年1月23、24日に栃木県日光市「ホテル日光離宮」で行われたが、それよりも6日前の1月17日に阪神淡路大震災が発生、近畿圏の多くに甚大な被害をもたらした。王将戦第2局も開催が危ぶまれたが、それに先立つ1月20日のA級順位戦(対 米長邦雄九段戦)に谷川は、神戸から11時間をかけ、予定通り戦い、その後の王将戦第2局も予定通り行われた。なお、順位戦、王将戦第2局とも谷川が勝利した。
写真(7):
撮影日が不詳。もちろん見てわかる通り、羽生善治(名人)であり、20代の頃と思われる。あれから20年前後が経つが、盤面に向かって凝視し、思考する対局姿は今なお変わらず、凄味という意味では増しているような気がする。
写真(8):
平成8年2月13、14日。山口県豊浦町「マリンピアくろい」で第45期王将戦七番勝負第4局が行われた。谷川浩司王将に挑戦するのは羽生善治竜王・名人。既に羽生は6つのタイトルを保持し、この王将戦でタイトルを奪取し、将棋界前人未踏の七冠を達成する。これまでに、幾度となく各方面で紹介されているので、ここで詳しくは書かないが、報道の過熱ぶりは、この写真からも見てとれる。将棋界の歴史的瞬間だ。この時から将棋というものに対する世間の見かた、感じ方が変化したように思う。