弦巻勝のWeb将棋写真館

大山時代

更新: 2014年12月12日

対局室の突き刺さってくるような空気感に身を置くには対局者との信頼関係と暗黙の了解が必要です。
その立場を得て初めてシャッターがきれます。

将棋のタイトル戦は前後入れると3日~4日です。
写真を撮るには見た目以上に体力と集中力が求められます。

僕は将棋の写真を40年頑張って撮って来ましたが満足できる写真は撮れなかったように思います。

そんな僕に、将棋連盟から「弦巻さんの昔の写真と原稿をホームページに掲載したい」とのお話。

フイルム時代の僕がデジタル時代の今、どれだけ将棋の世界を伝える事だ出来るか解らないですが多くの先生方との思い出や交流を月に2回くらいで掲載してみようと思います。
どうぞ宜しく。

「大山時代」

大山先生は初め、ものすごくおっかね~え先生と言う印象でした。
控え室から対局室に行く廊下を出来るだけ静かに音がしないように注意しました。
で、怒られた。
「あんた、静かに入って来なさんな。遠くから誰が来るか解らないじゃあないの、あんただって解ればそれで良いんだから、あんたが顔見せるまで誰が来るか 読まなければいけないでしょう、もっとドンドン入って来なさい。」

棋士は朝から晩まで将棋盤を見つめている。対局が終わって多くのカメラマンがなだれ込む。
でストロボでバンバン撮る。
たぶん目がチカチカするのか、さかんに目をしょぼしょぼさせる。
これはまずいんじゃあね~えか、
以後僕はどんなに暗くてもストロボを使っていない。
大山先生はその後安心して僕のカメラに目線を向けてくれるようになった。僕はドンドン足音をさせ入る。
ただ対局室に3分以上は居ない。それは対局室の狂気が舞う時間の溶けるのは、そのくらいの時間だと思うからだ。
その後撮っても将棋の写真にならないように思う。

掲載写真についてのミニ解説(サイト編集部記)

写真(1):
昭和61年5月7、8日に鴻の池松柏園ホテルで行われた第44期名人戦七番勝負第3局(中原誠名人 対 大山康晴十五世名人)
写真(2):
同タイトル戦で昼食休憩にたつ両対局者。
写真(3):
昭和52年9月20日と思われる。木見一門の大野源一九段、升田幸三九段、大山康晴十五世名人が揃って同じ部屋で対局している。偶然とはいえ珍しい光景を収めた一枚。しかしながら、やや不自然な光景であることに気づく。まず、対局室は「高雄」のようだが、1部屋で3局同時に対局を行うことは、基本的にはない。ましてや、升田、大山、大野といった当時でも重鎮が特別対局室で対局していないのもそうである。
調べてみると、この日は、10局行われていたようだが、第18期王位戦第5局が特別対局室で行われており、おそらく飛燕、銀沙の対局室が報道控室となっていた可能性がある。ということは、高雄、雲鶴、棋峰の3部屋で9局を行っていた計算で、重鎮たちが1部屋で3局をしていたのも納得がいく。
写真(4):
同じ日にできて間もない東京・将棋会館の前で撮影。中原誠十六世名人は、将棋会館で行われている第18期王位戦第5局(対 米長邦雄八段)を対局のため、和服を着用している。