二上達也九段「お別れの会」 ~関係者・ファン250人が故人の遺徳を偲ぶ~

更新:2016年12月22日 13:35

11月1日に84歳で逝去した二上達也(ふたかみ・たつや)九段・元日本将棋連盟会長の「お別れの会」は12月19日、東京都千代田区「ホテルニューオータニ東京」で執り行われ、関係者、一般の将棋ファン250人が参会して故人の遺徳を偲びました。

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百合、菊、胡蝶蘭で飾られた祭壇の遺影は、1996年1月11日に神奈川県鶴巻温泉「陣屋」で撮影されたもの=写真:中野英伴

会は全員起立して黙祷を捧げたのち、日本将棋連盟の谷川浩司会長が主催者あいさつを行い、棋聖戦の三連覇や58歳で現役を引退した潔さを述べ、平成2年から14年間にわたり日本将棋連盟会長として温厚な人柄で後輩を引っ張っていかれた、と故人を偲びました。
次に出身地の函館市から中林重雄副市長が工藤壽樹市長の弔辞を代読し、函館市栄誉賞を受賞した故人の功績を余すところなく紹介されました。弔辞
続いて一門から羽生善治三冠が、師匠との出会い、アドバイスや思い出を述べ、「弟子にしていただけたことは大きな幸運で、これを大切に前進していきたい」と哀悼の意を捧げました。弔辞
最後に親族を代表して長男の二上龍也(りゅうや)氏が、物静かで優しかった父親について語られました。
その後、関係者、将棋ファンが白菊を献花して、名匠との別れを惜しみました。
会場には故人愛用の品々や直筆の原稿、受章した紫綬褒章の賞状・扇子などが飾られました。

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谷川会長

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中林・函館市副市長

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羽生三冠

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長男の龍也氏

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司会・進行の島田良夫氏

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献花

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参会者へのお見送り

会場に飾られた写真や故人愛用の品々

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弔 辞

本日ここに、函館市栄誉賞受賞者 二上 達也 様のお別れの会が執り行われるにあたり、謹んで哀悼の誠を捧げます。
私たちの故郷函館が生んだ日本を代表するプロ棋士として活躍され、将棋の普及発展に貢献されたあなたの御逝去は、私ども函館市民にとってその失うところ誠に大きく、悲しみに堪えません。
誠実、温厚にして、高潔な人格をお持ちのあなたは、昭和25年に道立函館高等学校、現在の函館中部高等学校を卒業後に上京され、同年11月にはプロ棋士となられました。
昭和26年に順位戦に初参加し、昭和31年には入門からわずか6年で八段に昇段され、その後、昭和34年に第10期九段戦でタイトル戦に初参加し、昭和37年には当時5冠王で全盛期にあった大山康晴名人を破り、初タイトルとなる王将を獲得されました。
その後も、昭和41年に第8期棋聖を獲得したほか、昭和55年の第37期棋聖戦から棋聖3連覇を達成し、最優秀棋士賞を受賞されるなど、平成2年に現役を引退されるまで、一流棋士の証明とされております順位戦のA級に通算27期在籍し、タイトル戦登場26回、獲得5回という輝かしい成績を収められました。
また、棋士として活躍される傍ら、日本将棋連盟理事、専務理事、副会長を歴任し、平成元年からは14年の長きにわたり会長を務められ、後進の指導・育成にあたるとともに、国際将棋フォーラムを開催するなど、日本文化としての将棋の海外普及にも尽力し、平成15年に会長の職を退いた後も、相談役として引き続き将棋界の発展に寄与されました。
さらに、平成9年から当市で開催された「道新はこだて将棋まつり」に積極的に関わられ、第一線で活躍中の棋士を招待し、将棋ファンとプロ棋士の交流の場を設け、市民への将棋の普及発展に貢献されたほか、平成7年からは「はこだて観光大使」に御就任いただくなど、当市のイメージアップにも大きく寄与されました。
このようなあなたの長年にわたる御活躍は、郷土の誇りであり、函館市民に明るい希望と活力を与えたことから、平成13年には函館市栄誉賞を贈呈申し上げたところでございます。
今後も末永く御活躍されることを強く願っておりましたが、去る11月1日に御逝去されましたことは、誠に残念でなりません。
本日ここに、御家族の皆様をはじめ、御友人や旧知の皆様が相集いましてお別れの会が執り行われるにあたり、あなたの生前の多大な御功績と御尽力に対し、心より感謝申し上げる次第でございます。
申し上げれば限りもなく、惜別の情は尽きませんが、在りし日のあなたの御遺徳を偲び、ここに謹んで哀悼の意を表し、心より安らかな永久の眠りをお祈り申し上げ、弔辞といたします。
平成28年12月19日

函館市長 工藤 壽樹

弔 辞

先生の所へ入門のお願いに伺ったのは今から35年前の秋でした。とても緊張しましたが、物静かで威厳のある姿がとても印象的でした。帰り際に先生の詰将棋作品集『将棋魔法陣』を頂きましたが、詰将棋の名手としても知られていた先生の作品はとても難解で、一題解くにもとても苦労した記憶があるのと同時に、81のマス目全てに玉型を置く遊び心と独創性の大切さを教えていただきました。
そして、その頃の先生は棋聖戦で中原(誠)先生、加藤(一二三)先生、米長(邦雄)先生と、当代一流の棋士たちを打ち破り、棋士としての全盛期を迎えていた時期でした。切れ味鋭い棋風での対局は、多くのファンを魅了していたと思います。
私が小学生名人になって、その事を報告した時は、アマチュアの大会の実績は関係ないから気を緩めないようにと、プロの世界の厳しさを教えていただきました。
先生には「王将会」をはじめとして多くの後援者、応援者がいらっしゃいました。将棋を指し、酒席を共にし、語り合う深い交流は、師匠の人徳を感じる数多くの場面がありました。
また、将棋連盟会長として長きにわたっての活動は多忙を極め、難題も数多くありましたが、初めての国際将棋フォーラムの開催をはじめとして、未来の普及の道筋を示していただきました。
その姿は、棋士として、弟子として、いつも大きな安心感に包まれた大きな存在でありました。
先生はプライベートではカラオケで歌を歌われるのがとても好きでした。しかし、弟子たちの前では遠慮されていたようで、引退をされて、かなり経ってから初めて聴きました。その時にやっと認めていただいたような気がして、うれしかった記憶があります。
将棋界では盤の升目の数と同じ81歳を盤寿としてお祝いする慣習があります。先生の体調が優れず、その機会をつくれなかったことが今でも大きな心残りです。
先生と御縁をいただき、弟子にしていただけたことは大きな幸運であり、かけがえのない経験でした。これを大切に前進していきたいと思います。ここに謹んで哀悼の意を捧げます。どうもありがとうございました。

羽生 善治

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