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佐藤康光九段 其の二

更新: 2016年6月15日

前回モノクロ写真とカラー写真を混ぜて掲載しましたが、当時タイトル戦の撮影依頼はこの両方で苦労した記憶があります。

1億と3手読む佐藤さんですが、こちら3手も読めず、2台の同じカメラをぶら下げて3本~4本のレンズをとっかえひっかえ中身の違うフイルムが入っている状態で撮る訳ですからパニックです。
まあ将棋で言えば目隠しの2面指しです。ちょっと気を抜くと、どちらのカメラがカラーだったっけ・・・てな事になるんです。頭の中での2面指しですから、駒台の獲った駒が混ざるんです。

今の時代は1台のカメラでデジタルで撮ったデータをキーボードでポンと叩けばどちらにも簡単にカラーモノクロ好きなように振り分けられちゃう。

徹夜して一枚一枚写真を手焼きした美しいイルフォードの印画紙を渡さなくても、
「はいこれ写真データね。」と編集者にメールで送ると仕事が終わります。まあその分原稿料は何分の一かになっている時代なんです。

先日、銀座は鳩居堂に行き便箋を買って来ました。この便箋が15枚で2,600円。故・原田康夫先生の教えで僕は墨を摺って手紙は書くようにして居る今ですが、あの頃、故・原田康夫先生との酒席で
「棋士で書の上手な方は何方でしょうか・・・。」と聞いた事が有ります。
「好みも有るでしょうが、佐藤康光さん・・・とても良いんじゃあないでしょうか・・。」
そうか、好みか・・・またライカのレンズで撮るかなぁ~と最近思って居ます。

【掲載写真についてのミニ解説(サイト編集部記)】

写真上から順に(1、2):
写真(1)は、故・米長邦雄永世棋聖が佐藤康光九段宅に表敬訪問し、談笑する風景を撮影したもの。佐藤の向かって右側にいるのが、佐藤のお父様。写真(2)は、バイオリンを練習している佐藤。趣味でバイオリンを弾くのは、当時でも広く知られていた。実際、駒音コンサートでも演奏している。
写真(3、4):
平成2年9月20、21日に神奈川県「陣屋」で行われた第31期王位戦七番勝負第7局の模様。谷川浩司王位に佐藤康光五段が挑戦。この王位戦が佐藤自身初のタイトル戦出場であった。フルセットでの戦いとなり、佐藤五段も谷川王位を土俵際まで追い詰めたが、惜敗。初のタイトル奪取はならなかった。当時の月刊「将棋世界」でこの第7局の観戦記を書いた米長邦雄王将が「終盤の20手程は谷川王位に何かが乗り移ったとしか思えない。それ程の棋神にも優る指しっぷりであった。」と記すほど見ごたえのある将棋であった。
写真(5):
平成4年9月29日に行われた第5期竜王戦挑戦者決定三番勝負第3局の一枚。羽生善治王座と佐藤康光六段で行われ、結果、2勝1敗で羽生王座が谷川竜王への挑戦権を獲得した。なお、第5期竜王戦七番勝負第1局は、イギリス・ロンドンで開催された。
写真(6):
第5期竜王戦で佐藤康光六段は羽生善治王座に破れ、挑戦権を逃した。挑戦者となった羽生は、谷川から竜王を奪取し、明暗を分ける結果となった。しかし、佐藤は、翌年の第6期竜王戦でその雪辱を果たすべく、挑戦者となって羽生から見事に竜王を奪取した。迎えた第7期竜王戦。今度は立場を変え、佐藤が羽生の挑戦を受けてたつこととなった。その年、羽生は、米長邦雄名人から名人位を奪取し、初の竜王対名人対決が実現。注目の七番勝負の開幕局がフランス・パリの「ホテル・ニッコー・ド・パリ」で10月18、19日に行われた。写真は、パリ市内のカフェで衛星放送のフランス人カメラマンからの注文に応じているところを撮ったものだ。なお、佐藤と羽生の二人は、14年後の第21期竜王戦で再びパリを訪れることになるが、その時は羽生が挑戦者で佐藤が副立会という立場だった。
写真(7):
第73期棋聖戦五番勝負第3局(平成14年7月4日 於・神奈川県「箱根ホテル小涌園」で行われた。佐藤康光王将が郷田真隆棋聖に挑戦した。郷田が第1局、2局と連勝し初の防衛にあと1勝としていたが、この第3局から3連勝して佐藤が初の棋聖位を奪取した。そして第78期まで連続5期棋聖を保持し永世棋聖の称号を手にすることとなった。
写真(8):
第55期王将戦七番勝負(羽生善治王将 対 佐藤康光棋聖)第6局が平成18年3月6、7日に北海道函館市「湯の川プリンスホテル渚亭」で行われ、その翌日に関係者一行と市場へ繰り出し、その時に撮影された一枚。この期の王将戦七番勝負は、羽生が3連勝として簡単に防衛するかと思われたが、佐藤が底力を見せ、第6局も勝って3勝3敗のタイに持ち込んだ。七番勝負で将棋史上初の3連敗後の4連勝となるかと大いに盛り上がった。しかし、最終局で佐藤が破れ、偉業は達成できなかった。

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