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谷川浩司九段(其の二)

更新: 2015年7月21日

今は亡き福本和生(※産経新聞記者)さんの原稿で平成4年から4か月に渡って谷川さんが産経新聞に掲載されました。その後平成5年に「谷川浩司がゆく」のタイトルで単行本になりました。今、その時に使われた写真を観て少し恥ずかしい気がしてます。もう少し上手に撮れなかったのかと・・・。

谷川さんをどう撮ったら良いか、生意気ですが今なら少し解る気がしているこの頃です。
7月の頭に映画「ジュラシック・ワールド」の試写会に招待されました。8月5日ロードショウの作品です。
3D映画はジェームス・キャメロンさんの「アバター」から観ていませんでした。技術的な事は解らないのですが、とにかくCGも凄かったです。全米興行収入すでに1位と聞いています。迫力抜群、ぜひご覧になって欲しいです。

S・スピルバーグさんが監修で若手の監督 コリン・トレボローさんを起用。新しい時代を強く感じました。宣伝の為来日したコリン監督を雑誌のグラビアで先日撮影しました。

僕の時代は特撮と言えばザ・ピーナッツが出演した東映の「モスラ」や「ゴジラ」が娯楽映画でその対極には小津安二郎さんの「東京物語」や黒澤明さんの「七人の侍」の時代でした。若い時は小津作品に何も感じなかったですから人間力0ですよね。

将棋も新しい時代に進んでいるなぁ~と思います。コンピューターと指す事を団鬼六先生は「お前、また電気将棋指したのか・・・?」と少し馬鹿にして言っていました。新しい物事を受け入れるのは誰でも容易い事では無いでしょう。

そんな電気将棋の時代に日本将棋連盟の舵取りを任された谷川さんはとても大変かと思います。
しかし大山、二上、中原、米長、と言う、それぞれキャラの濃い会長の時代を知っている谷川さん、世はとても苛烈な時代で見えない気苦労も多いかと察します。どうぞ将棋の美学を残しこれからも棋界を引っ張っり、進んで欲しいと思います。

【掲載写真についてのミニ解説(サイト編集部記)】

写真上から順に(1):
21歳の挑戦者谷川浩司八段が加藤一二三名人に3連勝し、21歳の新名人誕生か?と世間の耳目を集めた中で、第41期名人戦七番勝負第4局(昭和58年5月19、20日)が熊本県熊本市「ニュースカイホテル」で行われた。マスコミや関係者も騒然とする中、後がない加藤名人は、122手で谷川八段に勝ち、カド番を凌いだ。
写真(2):
昭和59年6月18日、第44期棋聖戦五番勝負(米長邦雄棋聖 対 谷川浩司名人)第1局(於・静岡県浜松市「グランドホテル浜松」)を終え、打ち上げの席での一枚。大盤解説会は、超豪華に芹沢博文九段と内藤國雄九段で行われた。写真一番奥に座っているのが芹沢九段。これより少し前、谷川名人は、名人戦で森安秀光八段の挑戦を退け、防衛に成功する。しかし、この対局は、94手で米長棋聖に敗れ、シリーズは、最終的に3連敗のストレート負けを喫した。
写真(3、4):
昭和62年10月5日に東京・日比谷「松本楼」で行われた第28期王位就位式の時のもの。写真(3)では、両親と兄・俊昭氏も一緒に写っている。写真(4)では、当時若手棋士達(左から、神谷広志五段、中村修王将、塚田泰明七段、島朗六段)と懇談している姿が写っている。谷川浩司王位の右にいるのが、プロ雀士・井出洋介氏。
写真(5):
撮影日の詳細不明。タイトル戦での一枚と思われる。
写真(6):
平成4年2月17、18日に行われた第41期王将戦七番勝負(南芳一王将 対 谷川浩司竜王)第4局(於・大分県別府市「城島後楽園」)での一枚。この番勝負で谷川竜王は、4勝1敗で王将を奪取した。一方の南は、同じ時期に棋王戦の挑戦者にもなっており、羽生善治棋王と番勝負を並行して戦っていたが、羽生棋王が防衛、棋王奪取とはならなかった。
写真(7):
第50期順位戦A級最終局(平成4年3月2日、於・東京・渋谷区「将棋会館」)の谷川浩司竜王 対 大山康晴十五世名人戦の終局後の模様。最も勢いのある谷川竜王の最終局の相手が大山十五世名人であった。谷川竜王は、それまで6勝2敗でトップを走っていたが、5勝3敗の大山十五世名人に敗れ、6勝3敗で谷川竜王、南九段、高橋九段、大山十五世名人の4者プレーオフとなった。結果的にプレーオフを勝ち上がり、中原誠名人の挑戦戦者となったのは高橋九段で、谷川竜王は挑戦権を逃すこととなった。なお、この年の7月26日に大山十五世名人は、A級在位のまま、69歳でこの世を去った。
写真(8):
第43期王将戦七番勝負(谷川浩司王将 対 中原誠前名人)第5局(平成6年2月25日)に撮影されたもの。シリーズは、谷川王将が4勝2敗で中原前名人の挑戦を退けたが、とんでもない出来事がこの第5局で起こった。対局は、青森県「古牧第三グランドホテル」で行われたのだが、悪天候により中原前名人、立会の有吉道夫九段等が乗った飛行機が三沢空港に着陸できず、羽田に引き返す羽目となった。協議の結果、王将戦史上初となる1日制で行われることとなった。その為、この局は、持ち時間5時間で終局時刻は、同日22時7分となっている。
写真(9):
平成7年1月23、24日に行われた第44期王将戦七番勝負(谷川浩司王将 対 羽生善治名人・竜王)第2局(於・栃木県日光市「ホテル日光離宮」)終局後の模様。同年1月17日に阪神・淡路大震災が関西地区を襲った後の対局であった。六甲に居を構えていた谷川自身も避難勧告を受け、避難所生活をすることになった。以前にも記載したが、対局の開催自体が危ぶまれたものの、谷川が11時間をかけ上京。王将戦に先だって予定されていた順位戦を戦い、そして王将戦も予定通り行われることとなった。

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