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参名人を撮る

更新: 2015年3月5日

僕は早起きして、その頃乗っていたジープにライカM4にズミクロン35ミリf2とハッセルブラードにプラナー80ミリf2.8を付けた2台のカメラを乗せ、荻窪の大山康晴名人のお宅に急いだ。
大山名人は丁度朝食の最中で奥様がバターを塗り焼いた食パンを名人はせわしなく咥え、畳の上に広げた朝刊を読んでいた。
「つるまきさん、ちょっと待っていてね。」
奥様はトースターから飛び上がった次のパンにバターをまた塗っていた。
「どうぞゆっくり…僕は外で待ちますので。」
ジッポのライターで火を付け、間に合って良かったと一服していると黒塗りのハイヤーが静かに止まった。あ、これで十五世名人は茅ヶ崎の木村義雄十四世名人のお宅に行くんだな…このハイヤーの後をついて行けば楽じゃん。
二本目の煙草に火を付けた時、玄関から両手を振って出てきた大山名人に慌ててブーツで踏みつけた煙草を目ざとく見つけられた。

僕にすれば三名人を撮るなんて神様まとめて撮るようで前の日は眠れなかった。
どう撮るか、どんな処か、カメラは何にする。答えなんて無い。ただシンプルにと思ったら、少しは気が楽になった。

「あんた、これで来たの…?」
「はい。」
幌は張ってあるが中古のポンコツジープだ。
「あたし此れ乗って行く。」
「いや、名人そこにハイヤーが…。」
ハイヤーの運転手さんに十五世名人は何やら話している。名人を乗せ、僕は静かに環状8号線をボロジープでハイヤーみたいに走った。
「あんた、あの前の車追い越しなさい!」
名人は遊園地の車に乗ったように時々おしりを持ち上げ、顔は笑っていないが嬉しそう。僕はこのジープの保険はどうなっていたかと考えていた。
「あの赤い車もぬかしなさい!」
僕はジーパンの膝で手のひらの汗をぬぐい、ハンドルをいつもよりしっかり握った。アクセルを強く踏み、数台ぬかした頃には一人で運転しているのと変わらない気分になっていた。これで煙草が吸えれば女の子乗せているのと同じじゃん。なんてハイヤーどころか不謹慎な運転になっていた。

さすがにその頃にはバンバンのぬかせの名人も助手席のバーを両手でしっかり握り、前を走る車をよそ見もしないで睨み付けていた。ジープの幌はバタバタとうるさいが名人はとても静かになっていた。
木村義雄名人のお宅はすぐに見つかった。名人はジープから降りると腰に手をあてて、ちょっと背伸びした。
「あんた、これ取っておきなさい。」
何も書いていない白いお年玉の袋を手渡された。
「あんた運転上手いね。」
そして小さな声で空を見上げながら
「良かった。」
と小さな声でしゃべった。

大山名人は、また自宅の玄関を出る時と同じように大きく両手を振ってスタスタと木村名人のお宅に入っていった。僕は後ろから袋の中身を確認しながら後に続いた。
「うは~、僕にすれば1ヶ月分のおこずかい!」
応接室には中原誠名人がすでに来られていて笑顔で僕を見て手を振った。中原名人の前にはお茶と羊羹が手をつけられずにテーブルにのっていた。
三名人に庭に出て頂き、まだ朝の斜めの光で6枚撮った。応接室に戻った木村名人は
「つるまきさん、これ。」
僕に本を手渡された。「将棋一代」最初のページに弦巻勝様木村義雄と墨で為書きがして有った。超一流の方々は、しっかりと僕の写真を受けてくれた。感謝の気持ちと嬉しさで舞い上がった 。

僕はお茶を頂く前に羊羹に手をのばした。羊羹に刺さっている楊枝が利休が茶会で使う楊枝みたいだなぁ~と思った。

【掲載写真についてのミニ解説(サイト編集部記)】

写真上から順に(1):
HASSELBLAD(ハッセルブラッド)の中判カメラで撮影している。ハッセルブラッドは、スウェーデンのカメラメーカーで、中判カメラと言えば、ハッセルブラッドというくらい有名。NASAがアポロ計画の有人宇宙飛行で使用したことでも知られている。私たちが目にする月面着陸の写真は、ハッセルブラッドのカメラで撮影されたものだ。最初に私が月面着陸の写真を見た時、とても美しく撮影されたものだと感心していたが、ハッセルブラッドの力も相当にあったのだ。なお、その当時に使われたカメラ計12台が今も月には残されているという。
写真の人物は説明するまでもないが、右から木村義雄十四世名人、大山康晴十五世名人、中原誠十六世名人。中判カメラで撮影されただけに細部まで鮮明に写っている。サイトで掲載するには、ある程度縮小しなければならないので、その美しさ全てを伝えることができないのが残念である。が、しかし、単焦点レンズで、斜光の中撮影したこの一枚は、まるで絵画のようである。名人の表情が柔和ながらも強烈な存在感を見る者に訴求してくる。
写真(2):
木村義雄十四世名人宅での様子。三人の名人が揃って同じソファーに座っている姿は珍しい。(1)の写真を撮影した同じ日に撮影されている。1977年秋頃。関西将棋会館建設にあたって、その資金集めの一環として3名人署名の記念免状を発行することとなり、その宣伝のために撮影した。
写真(3):
木村十四世名人は、昭和35年11月に将棋界で初の紫綬褒章を、そして昭和53年11月に勲三等旭日中綬章を受章している。将棋界の叙勲では、昨年11月に谷川浩司九段が棋界12人目となった受章は、記憶に新しい。
写真(4):
当時刊行されていた「近代将棋」のグラビア撮影の為に今の田丸昇九段も同行して撮影したもの。この写真は、200ミリ・f4、ストロボ傘バウンスで撮影したとこのと。弦巻カメラマンによると「当時は傘バウンスがプロの間で流行っていた。ストロボもオートでは無いから複雑な計算と経験で光量を決めていた。」
写真(5):
木村十四世名人と鶴子夫人。「背景の家が将棋の駒の形の様だったので。」と弦巻カメラマン。(4)の写真と同じ日(1976年2月9日)に撮影。
写真(6):
金 易二郎(こん やすじろう)名誉九段が昭和55年に他界。東京・将棋会館で将棋連盟葬が執り行われ、その時に木村十四世名人と金子金五郎九段が久しぶりに再会。その時の一枚。
写真(7):
熱海に木村一門会で旅行した時の記念撮影。最前列左から、木村義徳九段、土佐浩司八段、石田和雄九段、中田章道七段、野本虎次八段、関口勝男指導棋士七段、荒巻三之九段。中段左から、二見敬三七段、花村元司九段、木村義雄十四世名人、木村鶴子夫人、板谷四郎九段、清水孝晏氏。最後列左から、氏名不詳、氏名不詳、北村文男七段、板谷進九段、大村和久八段、鬼頭孝生氏(第20回大山賞受賞)、氏名不詳、武者野勝巳七段。

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