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森けい二九段との付き合い

更新: 2015年1月19日

1978年の名人戦で森先生は剃髪にして中原名人に挑みました。僕はその2~3年前くらいから将棋を撮り始めました。

森先生はバーテン、ゴルフのキャディー、フアッションモデルといろいろな仕事をやって17歳くらいからプロを目指したわけですから今の時代なら遅いです。それでも21歳で四段ですから凄いと思います。

先生とはすでに40年近間の付き合いになります。今は月に1~2回くらい呑み麻雀をします。先生に付き合うと眠る時間がとても短くなります。 「やろ~よ、やろ~よ。」 と、猫なで声で我が家に電話掛けて来るから家内はいたずら電話と思い、きったこともあります。

夕刻から麻雀初めて朝になって昼になって夜になります。で、打ち上げと称して呑みに行きます。3時間くらいでビールをケースで空けます。寝ていないと酔いが倍くらい早いです。
「酒呑んだら元気になってきたから、ツルちゃん、かぁ~るく2~3回やろうかぁ~!」
「確か宮田君ツルちゃんの隣だよね?」
宮田利男七段は後輩だから断れないんです。で、そのまま同じ事の繰り返し。地下室みたいな処でやっていますから何曜日だか何日だか全然解らなくなります。でも、ず~っとやっていると、なんかの関係で終わることは終わるんです。宮田先生が
「(森)先生、そろそろ家に帰れば・・・?」
「僕ちゃん帰らない、ツルちゃんち泊まる。」
我が家に着くと
「あ、奥さん、僕『エビス』じゃあないと呑めないの、それから朝は納豆が無いとダメね。」
納豆ご飯を食べながら森先生は、
「ツルちゃん、今日さ、天気も良いし、もったいないから競艇いこ!」
「森先生・・・何がもったいないの・・・。」

先生に付き合ったからと言う訳では無いのですが、お腹が痛くなったから癌だと思い、 お医者様に診てもらいました。
「貴方、良く此処まで来れましたね。黄疸が出ていますよ。」
で、即入院、手術。胆石とか言う病名で、ベットに括り付けられている間、僕は何処に行ったらタバコが吸えるか必死で考えていました。
そんな夜中に酒の匂いをプンプンさせて足元もおぼつかない森先生が病室に入って来ました。
「ツルちゃん元気?ダメだよ、もう少し体の事考えて生活しなきゃあ!」
「うん。それにしても先生、よく入れたね、此処病院だよ・・・。」
「何言っているのツルちゃん、僕は将棋のプロだよ!」
言葉では通じない森先生、タバコを吸わないインディアンだと思いました。

【掲載写真についてのミニ解説(サイト編集部記)】

写真上から順に(1):
1984年1月26、27日に行われた第33期王将戦七番勝負(米長邦雄王将 対 森けい二八段)第2局、2日目終盤の模様。相掛かりから激しい攻防となり、後手・米長王将が90手で勝利。終局時間が午後3時ちょうどだった。なお、写真にも写っているが、記録係は、森下卓四段であった。
写真(2):
森九段、勝浦九段の九段昇段パーティーでの様子。二人合同で行われた。両氏とも、1946年の生まれで、四段になったのは勝浦が1年早かったが、1985年に共に九段昇段を果した。スピーチをしているのが作家の阿佐田哲也氏。阿佐田氏といえば、「麻雀放浪記」の著者で知られている。森、勝浦両氏とも棋界きっての雀豪でもある。
写真(3、4):
1986年6月沖縄での森九段。弦巻氏曰く、沖縄へは、毎年森九段と週刊ポストの指導対局で4、5日訪問し、宮古島や石垣島へも南西航空で行ったとのこと。
弦巻氏曰く、「(南西航空)機内でバックギャモンをやっていたら、キャビンアテンダントに呼ばれ、機長が挨拶したいとか。で記念撮影。」それが4の写真で、森九段の隣にいるのが機長。
写真(5):
1988年9月21、22日に行われた第29期王位戦七番勝負第7局終局直後の一枚。
当時「頭で覚えた将棋を体で覚えた将棋でつぶしてやる。」と自らを鼓舞して臨んだ森九段は、宣言通り4勝3敗で名人に復位したばかりの谷川浩司王位からタイトルを奪取する。
このVサインをしている写真は、別アングルで「近代将棋」に掲載されたが、森のカメラ目線でのこの一枚は、初披露されたものかと思う。昨年逝去された中野英伴カメラマンも将棋の対局写真を数多く撮影されたが、対局者との距離感を持って撮影された写真が多い。どちらかと言えば、映画のワンシーンのような切り口だ。対して弦巻カメラマンの場合、被写体との絆や親密性を感じさせる。この写真も、弦巻カメラマンが終局後の対局室に入ってきたのを見てのもので、目線がカメラにきているのもそういう理由からだろう。もちろん、どちらがどうこうという話しでなく、カメラマンが持つ個性であり、スタイルである。同じ場所、同じ時に撮影しても見る側に全く違った印象を与える。それだけに写真は、奥が深い。
写真(6):
1990年山梨県韮崎市の断食道場での一枚。森九段は、断食を定期的に行っていた。弦巻氏の当時の思い出によれば、
「韮崎の断食道場へは、先生の運転する自家用車で行きました。森先生は数日前からお粥で減食をはじめ、水だけの生活に入っていました。1週間の予定でしたが、同室で蒲団でゴロゴロしたり長閑な田舎道を散歩したり。先生は鬼のような眼で棋譜並べをしていました。3日目からは朝晩の食事がリンゴのかけらだけに。フルーツ断食と言うコースが僕で、先生は完全断食でした。断食後の感想はとにかく視聴覚が極端に研ぎ澄まされます。道場での夜は二人で料理番組や美味しい店の紹介をテレビで見て居ました。戻ってから、紹介された店を、かたっぱしから先生と行きました。その頃には僕は酒も呑めるし煙草も吸えるような体になっていました。とっても良かったです。」

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