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原田泰夫先生の事

更新: 2014年12月28日

昭和50年代の初め頃現役の先生は背筋をピンと伸ばして、長い指に煙草を挟み将棋を指されていました。
対局の時は勿論ですが、着物姿が体になじみ、「いやぁ~、将棋指しは格好いいなぁ~。」と思いました。

「巨匠、今度は阿佐ヶ谷で撮って下さい。」
先生は口癖で話しかける時若い者にも巨匠と言います。

連れて行かれた店は入り口から時代劇に迷い込んだ風で、利休好みの渋い着物の高齢の女性が、徳利と杯を、付け出しに出された小皿にはキャビアだろうか?

「アウンサン・スーチーさんは美人ですね。」と先生が話し始めます。
差し向かいの僕は出された小皿を睨み付けていました。
「あ、それトンブリ。」
そうそう、先生は声をかける時、若い女性にはお嬢さん、高齢な女性には小町さんと声をかけます。先生風に言うと、徳利を運んできたその女性は小町とんと言う事になります。
小町さん、
「それ、箒の実」と僕に教え笑顔。
僕、初めて頂きました。

政治、経済、映画の話題、次から次へと話されます。新聞の連載小説の話になる頃には 益々大きな声になり高笑い。
その店のお品書きと並んで“お一人様徳利2本まで”と張り紙。

「祖国へ行くが巨匠もど~お。」先生の下駄の音がタイルの商店街に響きます。
先生のお宅、ガラガラと門をくぐると夜露に紅梅白梅の花咲く純和風。玄関を開けると大きな飾り駒と笑顔の奥様。手料理馳走になり、帰りには色紙を頂きました。
「花半開を好み酒微酔に呑む」
これを僕はまだ出来ない。

将棋連盟の理事室には原田泰夫先生の大きな書が飾られています。
「界道盟」解らぬ時最初に全体の事を考え次に将棋道を考え、そして連盟の事をとの意と聞きました。

【掲載写真についてのミニ解説(サイト編集部記)】

写真上から順に(1):
昭和53年12月4日第18期十段戦予選1回戦で野本虎次六段戦での原田泰夫八段。終局後の感想戦の模様。この対局は後手の原田が62手で快勝している。
(掲載した文章に誤りがございました。お詫びして訂正いたします。)
写真(2):
(1)の写真の反対側からの撮影したもの。
この対局の終局時刻が15時25分。感想戦には、右から西村七段、田辺五段、野本六段の後ろに加藤(一)九段の姿もある。
今だと他の対局に配慮し、感想戦は別の部屋で行うことも多いが、当時は、その場で行われることが当たり前であった。終局時刻が早いせいもあったと思われるが、加藤も西村も、それぞれ自らが対局中であったにも関わらず、感想戦に結構な感じで入りこんでいる様子がうかがえる。現在では、まず見ることができない光景である。時代がおおらかだったと言えよう。弦巻カメラマンの撮影したこの一枚からは、当時のそんな雰囲気が伝わってくる。
写真(3):
自宅で書をしたためる原田九段。書でも個展を開くほど有名であった。ちなみに、文中に出てくる「界道盟」の書が下写真(編集部撮影)である。その達筆ぶりがうかがえる。

写真(4):
原田九段が指導対局を行っている風景。このシチュエーションは実は有名で、原田九段と観戦記者の田辺忠幸氏の共著である「将棋初段への道」にこの時の二枚落ちの対局が掲載されている。なんと、指導対局を受けているのは、今の羽生善治名人で当時小学生である。発行が1982年とあるので、撮影が1981年か82年であると思われる。羽生少年は、この対局に負けており、後年、原田九段は事あるごと冗談混じりに、得意げに話していたという。
写真(5):
原田九段引退記念パーティーでの一枚。スピーチをしているのが、田中角栄元首相である。田中元首相は、将棋好きで知られている。
(※上記記載の肩書き、段位は、当時のもの。)

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