振り飛車のイメージが強い神吉七段が、しばしば用いていた「神吉流居飛車穴熊」とは?

今回のコラムでは「神吉流居飛車穴熊」をご紹介します。神吉宏充七段がしばしば用いていたので、神吉流居飛車穴熊と呼ばれるようになりました。長く将棋ファンをされている方には、ん? 神吉七段は生粋の振り飛車党じゃないの? と思われるかもしれません。振り飛車穴熊や三間飛車を得意とされているイメージが強い方も多いと思います。ですが、ヒネリ飛車など、居飛車も時折指しておりました。

それでは、振り飛車のイメージが強い神吉七段が、どのような居飛車穴熊を指していたのか。そちらを見ていきましょう。

囲いの特徴:第1図をご覧ください。

【第1図は△3三角まで】

昭和59年10月30日、第33期王座戦1次予選、▲神吉宏充四段ー△若松政和六段戦(肩書は当時)です。あれ? これ左美濃じゃない。穴熊だよね? こう思われるでしょう。ですが、ここからの指し方がユニークなので、見ていきましょう。

第1図から、▲5九銀△3五歩▲1六歩△1四歩▲6八銀△7二銀▲7九銀△9四歩▲9八香△3四銀▲9九玉(第2図)。

【第2図は▲9九玉まで】

神吉七段は▲5九銀から右銀を7九に移動させ、そして▲9八香~▲9九玉と穴に潜りました。第2図からは、△1三桂▲4六歩△2五桂▲4五歩と戦いが始まったため、▲8八銀とする余裕がありませんでしたが、第2図の状態でも玉が遠く、かなり堅い囲いとなっております。

さて、第1図に戻りますが、▲5九銀に対し、△5四銀と繰り出してくる手が気になるかもしれません。ですが、構わす▲6八銀と上がります。△6五銀には5~3筋の歩を突いていないところを生かして、▲2六飛(第3図)と浮けば受かります。

【第3図は▲2六飛まで】

▲5六歩~▲5七銀として▲6八銀と引くのではなく、5九~6八~7九というルートにしたのは、銀の進出に備えるためでした。また、▲5六歩の一手を省略していますので、そのぶん囲いの完成が早いというメリットもあります。先に美濃囲いに組んでから穴熊を目指すのは、離れ駒ができないので、組んでいる最中に戦いが始まっても強く応じられるというところも魅力ですね。

それでは、いつも通り先手側の駒だけを配置して、囲いに組むまでの手順を見ていきましょう。

囲いを組むまでの手順:初手から、▲7六歩、▲2六歩、▲4八銀、▲6八玉、▲7八玉、▲5八金右、▲2五歩、▲7七角、▲8八玉、▲7八銀(第4図)。

【第4図は▲7八銀まで】

手順中の▲2五歩ですが、△4三銀と上がったら突くという感じで覚えていただけたらよいでしょう。第4図から、▲5九銀、▲6八銀、▲7九銀、▲9八香、▲9九玉、▲8八銀(第5図)。

【第5図は▲8八銀まで】

銀を7九まで移動し、▲9八香から玉を穴に潜らせて▲8八銀と上がれば完成です。▲6八金寄~▲7九金とすればより堅固になりますが、ひとまず第5図を完成形としておきます。次回は組む際の注意点と発展形を見ていきましょう。

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