将棋地口・第14笑 『なんにもならない裏の柿木』

昔、将棋道場という所に通い始めたころ、どうして平日の真っ昼間に将棋を指している人がいるんだろう、と思ったものでした。今、なぜか将棋クラブの席主をしている自分を棚に上げて言うのもおかしな話ですが、その時は一種のカルチャーショック的な衝撃があったのです。もちろん、頭の中では「土日が休みの人ばかりではない。仕事によっては平日が休みの人もいるんだ」と理解していたものの、やっぱり不思議な気がしたのです。

他人が仕事をしている最中、自分は遊んでいられるというのはちょっとした優越感があり、贅沢なこと。逆の場合は羨ましくもあるのですが、その平日の今日、外は秋晴れが広がり、室内にいるような天気ではないというのに、当将棋クラブには20人近い"好き者"が来ておりました。ありがたいことです。

「あぁ~ア、そんな手があったのか」

「なァ~に、ただやってるだけだヨ。なんにも考えちゃいないんだから」

「ただやってるだけにしちゃ、ずいぶんと立派な手ではゴザンセンかってンだ」

局面の形勢が良かろうと悪かろうと、好き者、イコール幸せ者の皆は、存分に将棋を楽しんでいます。世の中、昼間から好きな将棋を楽しめるということは、実に平和なこと。これが永久に続くことをただただ祈るばかりです。と、柄にもなく殊勝なことを思っていると、そこにもう一人、"好き者"がやって来ちゃったのです(おっと、失礼。お客さんでした)。

「チワ~ス! 今日は大勢いるね~」

クニさんという常連さんで、棋力はアマ1級。私は早速、手合いを付け、楽しんでもらうことにしました。

「えっ、ツボさんとやるの~?」

「はい、ちょうど空いていますから、角落ちで教わってください」

「ヨッ、クニさんとは久しぶりだナ」

逆にツボさんは、これで1勝は確実というリアルな顔をしています。

私は、強い人に当たらないと強くはなりませんからと言い、クニさんの背中を押しました。

ツボさんはだいぶ駒落ち、また、将棋の要領が分かってきたようで、大きなミスもなく進めていきます。そして、図の局面となったとき、逆にツボさんから自虐的なジョークが聞かれたのです。

「香を浮いた手は、なんにもならない裏の柿の木かな~?」

これは、指した手が意味のなかった場合に言われる洒落です。日の当たらない所には何も実がならないものですが、果たして柿の木が日の当たらない裏庭にあったとき、本当に実がならないかどうか......私には分かりませんが、この洒落はそうしたことを言ったもので、"実のない手"という意味なんです。

「いやいや失敗したな。でも、クニさんも強くなったじゃないの」

ツボさんから優しい言葉が聞かれましたが、こういうときはそのあとが怖いもの。ほめられたクニさんは気が緩んだか、その後、指し手がヨレ始め、ツボさんに実力を出されて負けてしまったのです。ツボさんは上機嫌。そして、次の言葉で締めました。

「なんでもなっちゃう表の柿の木、ってとこだネ」

【図は△1二香まで】

*図の上手△1二香は、次に△1一飛と回り、△1四歩と反撃する狙いです。

これに対し、下手も▲1八香と浮き、▲1九飛と回る指し方もありますが、ちょっと消極的。

図でクニさんは▲2五桂と積極的に跳ね、桂交換を目指しました。この狙いは、以下△2五同桂▲同飛に△1一飛なら▲1六桂(参考図1)にあります。こういう狙いが持てれば有段の域といえ、クニさんは普段、かなり鍛えられている気がします。

【参考図1は▲1六桂まで】

参考図1で、上手が弱気に△4二玉なら、▲2四歩△同歩▲同桂△2三歩▲1二桂成(参考図2)と、目障りな香を消し去ることができます。▲1六桂~▲2四歩が下手の狙い筋です。

【参考図2は▲1二桂成まで】

しかし、駒落ちの上手は図々しい者。ツボさんは参考図1から△1四歩と開き直ります。下手は当然、▲2四歩としますが、以下、△1五歩▲2三歩成△同銀▲2四桂△同銀▲同飛△2三歩▲2九飛△1六歩(参考図3)と一本道に進み、下手は銀桂交換の戦果を上げました。

【参考図3は△1六歩まで】

と、ここまでは上手く立ち回っていたクニさんでしたが、参考図3での▲8八玉は、大事を取りすぎた緩手となってしまったのです。すかさずツボさんに△1七歩成とされ、▲4五歩△2七桂(参考図4)で、何やら怪しい雲行きに......。

【参考図4は△2七桂まで】

参考図3では▲4五歩と角筋を通し、△1七歩成に▲同香△同香成▲1二歩△同飛▲1三歩(参考図5)と進めるべきでした。

参考図5で、1)△1一飛なら▲1二銀、2)△2二飛なら▲1一銀△2一飛▲1二歩成。いずれも下手、大いに優勢です。

【参考図5は▲1三歩まで】

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