「危なげな手」に挑戦する勇気を持つことが勝ちにつながる【将棋と教育】

これまでのコラムでも様々な角度から、我慢することや相手にゆだねる姿勢の大切さをお伝えしてきましたが、「曖昧な手」だけでは勝つことはできません。ここぞというときにはやはり、決断しなければなりません。勇気を持って、危ない手に一歩踏み込まなければなりません。将棋に勝つにはここが勝負という勝負所があるのです。大切なのは、その決断のタイミングの見極めです。

曖昧さ「だけ」では勝てない。勇気を持った手も必要

日本人には物事をハッキリさせない傾向があるとして、近年では否定的に語られてきている「曖昧さ」。

よくよく考えていくと、曖昧さのすべてを否定しているのではなくて、曖昧な「だけ」ではいけないという反省から出発したもののようにも思います。実は、これも将棋を通して気づかされたことです。

将棋では曖昧な手で相手の読みをつぶすことはできますが、曖昧な手「だけ」では通用しないのです。危なそうな手を尻込みすることなく指していくことが、勝負には必要なのです。一見無謀に、ダメそうにも見える手が、実はいい手だったりするのです。

勇気を出すタイミングを見極めるために日々の努力を重ねる

将棋において最も重要なのが、いつ勝負に行くかというタイミングの見極めです。プロ棋士は、対局の要所をどう見極めるか、そのときに勇気を持ってどんな手を指すのか。勇気を持って決断をするために、日々の努力を積み重ねているとも言えるでしょう。

「読みより勘で決める」という羽生二冠の言葉も、データや既存の情報の先にある、日々培ってきた人間力=直感が決断の極意だと示唆しています。

将棋の世界には、先人たちの成功体験や失敗体験の積み重ねから生まれた「定跡」と言われる戦術の知恵が伝えられています。パソコンを使えば、過去の対局を再現して見ることもできるし、その敗因となった手や勝負の局面、勝利に導いた手筋も細かく分析することもできます。

しかし、情報を知っていることと、肝心なときに決断できることは違います。データや前例に頼っているだけでは、危なく見える手を指すことなど、到底できるものではありません。データや前例を基に、決断の一手のタイミングを見極め、勝負をするのです。


(第63期王将戦 第6局より)

勇気を持って挑戦し、結果を受け止めることで成長していく

教育の研究会でも、若手教師の授業を見て、「そんな指導をしていてはダメだ」と意見する人がよくいます。相手のためを思ったありがたい意見のようにも聞こえますが、「ダメだ」と決めつけるのは、旧来の自分のやり方を押しつけているだけではないかという気がします。新しい考え方や意見を「ダメだ」と頭ごなしに決めつけて、前例や従来のやり方にこだわっているばかりでは、成長も発展も望めません。

将棋にとどまらず、教育指導の世界、もっと広く人生においても、これまで通りの安全な、保険をかけるだけでは飛躍のチャンスを逃してしまいます。保険や我慢にはもちろん意味がありますが、それだけでは不十分です。一歩踏み出さなければならないときには、「危なげな手」に挑戦する勇気を忘れてはいけません。

「ここで勝負をかける」と決断したら、自分が今まで積み重ねてきたものすべてを懸けて、危ない手かもしれない手で思い切って勝負をする。そうした勇気を奮い起こさなければならないのです。そして勝っても負けても、その結果はすべて自分一人で受け止めて責任を取る。それが勝負の肝というものです。

勝負の分かれ道に決断できる、トータルな人間力を

将棋は一手勝てればいいのです。一手でいいから相手より早く詰ませればよく、10手も20手も勝たなくていいのです。ここぞという勝負の分かれ目で、危ない手を指したことで、駒を損するかもしれません。しかし、その手によって、「すみません。その駒は取られたけれど、私、先に勝っちゃいますよ」となればいいわけです。

欲張ることは禁物です。「あれもこれも全部私がもらう」といった態度でやっていては、駒をたくさん取ったとしても、勝負どきを逸して、結局使わないで終わってしまいます。そこは欲張らずに、駒を相手に渡していったり、危ない手を指していったりすることが肝心なのです。

ここぞというときの「決断力」と「責任力」。子供たちには、将棋を通して、そのバランスを見極められるトータルな人間力を身につけてほしいと思います。

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