行き詰まった局面を打開するために考えないといけないこととは?【子供たちは将棋から何を学ぶのか】

行き詰まったと感じたとき、あなたはどのような対応を取るでしょうか?一歩踏み出してみるのか、一歩引いて客観的に見るのか、はたまた、何もしないのか。大切なのは、これらの対応があることを知り、緩急を自在に使い分けていくことなのではないでしょうか。

行き詰ったときに、一歩踏み出すという対応

将棋というのは相手の王様を詰ませるゲームです。だからといって、その目的を達成するためにひたすら攻めればいいかというと、そういうものでもありません。先に攻めても、相手のいることですから、自分の手に対して当然相手からの反応があります。すると自分の攻めた手がマイナスとなって駒を取られ、攻めていたはずがいつのまにか攻められているということがあります。一概に攻めるが勝ちとは言い難いのです。攻める手を一手我慢できるかどうか、そんな我慢のし合いのようなところがあります。

だったら我慢していればいいかというと、これもまたダメ。積極的な意味での我慢は必要ですが、消極的にただ我慢するだけでは絶対に勝てません。

将棋は前に進めないコマはありません。「歩兵」「香車」「桂馬」といった駒は、後ろに下がることはできませんが、前には進めるようになっています。すなわち将棋というのは前に進むようにできているのです。ですから、やはり一歩踏み出さないと勝つことはできないのです。

では、双方ともに踏み込まないとどうなるのか。 その場合突き詰めて考えると、「千日手」に行き着くのではないかという説もあります。

千日手というのは駒の配置、両対局者の持ち駒、手番が全く同じ状態が一局中に4回現れること。こうなると、この繰り返しが無限に続くと判断されて指し直しになります。対局する2人が同じ手を繰り返し、これでは千日経っても終わらないということから「千日手」と呼ばれるわけです。


(第61期王座戦 第4局より )

一歩踏み出すには、勇気が必要

将棋とは、人と人とが対峙して、そのときの最善の指し手を盤上に描き出す芸術でもあります。その原点に立ち返ってみれば、行き詰まったら、今の時点での自分の力を試すことが最善手なのです。やはり行き詰まったら、とにかく一歩踏み出してみることが大事です。 攻めれば、取られてしまう駒が出てきます。けれども、駒を取られてもいいのです。駒を取られて一瞬損したように見えても、その駒の犠牲によって違う駒が活躍する場が必ず出てきます。そこからまた局面を打開することができるのです。

将棋には様々な性格の駒があります。 それらを全部たくみに操って、この場合にはここを守る、でも代わりにこっちが行くというふうに、駒たちがみんな連携して戦わなければ勝てないのです。ある駒が取られてしまうとしても、"無駄死に"にならなければよしと考えて、前に踏み出さなければなりません。 ただそれには、勇気が必要です。 誰だって損はしたくありませんし、失敗もしたくない。しかし、「それでもいい!やってみよう!」という強い気持ちを持たなければ勝つことはできないのです。いざという時には勇気を持って踏み込むことは、実に大切なことなのです。

行き詰ったときに、一回寝かせてみるという対応

もう一つ、行き詰まった局面を打開するための手段としては、1回寝かせてみることも有効です。そうすると、その局面の本質が見えてきます。 こだわりが見えてくることがあります。藤井四段の幼年期のエピソードにも会話の中で、突然「出来たぁ!」と詰め将棋を頭の中で何日もかけて解いていたそうです。考え続けることと少し間を置くことの両輪が解法の近道かもしれません。

学校では、いろいろなことが起こります。 例えば、子供同士が些細な事で揉めて喧嘩をすることもあります。そんなとき、帰宅した子供に話を聞いて、「どういうことですか!こんなことじゃ困ります!」と、学校に電話をかけてくる保護者の方がいらっしゃいます。しかし事の次第によって、私は「でもね、1日待ってみましょうよ」と提案します。

そうすると次の日には、子供同士で解決して、関係を修復していたりするのです。それをお母さんに電話で報告すると、「ああ、良かった。すみません、私も結論をちょっと急ぎすぎました」と納得してくれる。そういうふうに1日置いた方がいいときが、教育の現場ではよくあります。

対応を焦らず、踏み込んだり寝かせたりの緩急を作れるか

行き詰まった局面を打開するためには、焦りは禁物です。我慢するも勇気、進むも勇気。要は、対局の最初から最後まで単調にずーっと我慢するのではなくて、一歩踏み込んで攻めるときもある、ここは焦らずに考えを寝かせてみるというときもある。その緩急が作れるかどうかなのです。

その姿勢は、将棋に限ったことではないと思います。私なら教師の仕事で、子供には学習態度において、保護者の方は個々の仕事や家庭生活で、それぞれの立場で置き換えて考えられるのではないでしょうか。

誰もが「あ、そうか」と思い当たるところに気づくことができるハズです。

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