「スクールがなければ違う人生になっていた」高見泰地七段の考える子供スクールの魅力とは?

「スクールがなければ違う人生になっていた」高見泰地七段の考える子供スクールの魅力とは?

ライター:   更新: 2019年10月05日

――高見さんは将棋連盟の「子どもスクール」、「遊々将棋塾」に入ったあとに研修会、そして奨励会入りしプロになったという珍しい経歴をお持ちのプロ棋士ですが、まず将棋を覚えたきっかけを教えてください。

小学1年のとき父と祖父から習いました。対戦していたのはその2人で、それ以外は棋書を読んだり、ソフトの「東大将棋」で遊んでいました。ほかの人と将棋を指したことはありませんでした。

平成12年秋、将棋の日のイベントか何かで、将棋会館道場が無料開放されると聞いて、初めて千駄ヶ谷を訪れました。「将棋会館ってどんなところだろう?」というあこがれのような気持ちでした。1階の売店で本や盤・駒などを見た後、ドキドキしながら2階の道場に上がりました。それまで知らない人と指したことがなかったので緊張しましたが、せっかく来たのだからと勇気を出して手合いを申し込んだのを思い出します。このときが、将棋会館道場での初対局でした。

平成13年3月11日、新宿で行われた「三宅島チャリティイベント」に参加し、羽生先生に指導対局していただいたのは、忘れられない思い出です。私は自分の指導対局が終わっても、ずっとほかの方々の指導対局などを見ていました。その時、カバンに駒のキーホルダーをたくさんぶら下げた同じ年くらいの女の子があらわれて、将棋連盟職員の石橋さんに、「この子は、将棋連盟のスクールで腕磨いているんだ。千駄ヶ谷には、こんなすごい子もいるんだよ」と教えてもらい、私もスクールに入ってみたいと思いました。駒のキーホルダーが将棋でたくさん勝つともらえる賞品らしいことも、子ども心をくすぐられたのかもしれません。後でわかったことですが、その女の子は、沙恵ちゃん(伊藤沙恵さん・現女流三段)でした。

すぐにスクールの体験を申し込み、3月25日に参加したのですが、その日に沙恵ちゃんは卒業してしまいました。その時、既に道場で二段か三段で、すごいなあと思いました。私は、4月8日から子どもスクールで学ぶことになりました。

――今日は将棋会館に通われていた頃の手合いカードを持ってきていただきました。初めてきたとき(7歳。小1)の1枚目を見ると日付が平成12年9月29日で9級、8級、7級、5級相手に4連勝しています(写真①の上から1番目)。また、子どもスクールに入ったとき、つまり、将棋会館訪問3回目(子どもスクール入学初日、道場対局2回目)の平成13年4月8日には6連勝して3級に認定されています(写真①の2番目)。すごい勝ちっぷりです。

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高見少年の連盟・道場での手合いカード、最初の4枚。一番上の日付が平成12年9月29日。9級、8級、7級、5級相手に4連勝している。

道場に初めてきて3級になったと話すと結構びっくりされます。将棋連盟以外で指すことはほとんどなかったのですが、家で集中して勉強していた成果だと思います。

――2級から1級へ、また1級から初段への昇級が手合いカード1枚つまり1日で達成されています!

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2級から1級、1級から初段への昇級が手合いカード1枚つまり1日で!

私は横浜に住んでいましたので、千駄ヶ谷に来るのは子どもスクールの日だけ、道場で指すのも子どもスクールの授業(当時は将棋会館で行われていた)の後だけでした。だから、将棋会館に通っていたのは月2回。逆に月30日通っていたからといって、それだけ強くなったかはわからない、月2回集中して指していたのがよかったのかもしれません。

――子どもスクールの講義の内容はどのようなものでした?

まず講義があって、大盤を使っての解説や、プリント教材を使っての授業、その後、生徒同士での対局になります。

――その頃の子どもスクールの講師は誰だったのでしょう?

野月浩貴八段(段位は現在もの)、橋本崇載八段、中座真七段、佐藤秀司七段、佐藤紳哉七段、村中秀史六段、熊坂学五段、高橋和女流三段などです。中級、上級の講義は印象に残っています。月2回の授業がためになりました。小学生の頃は学校の勉強も楽しかったですが、スクールでのプロの先生の講義も嬉しかったです。

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高見七段が子どもスクールにいたときの手合いカード。中座、橋本、熊坂、村中らの名前が見える。

  

――スクールの魅力はほかに何があります?

スクールは、研修会とは違って、生徒と先生の距離が近く、とにかく将棋の楽しさを感じることができてよかったです。また、道場では老若男女、誰とでも対局しますが、子どもスクールは、同じ年代の子と指すので、負けたくないという気持ちが強くなって、励みになりました。

子どもスクールに私と同時期にいたのは、青嶋未来五段や吉岡大和さん(元奨励会)です。また道場でよく指したのは、三枚堂達也七段、伊藤沙恵女流三段などです。

――平成13年4月に子どもスクールに入って、平成14年9月に初段で卒業、かなり早いスピードです。

初段で卒業したとき、道場では二段か三段で指していました。道場で四段になったのは、平成15年1月で、すでに研修会に入ってます。研修会には小3の途中から5年いっぱいまでいたことになります。研修会に入ってからはプロを意識するようになりました。 研修会ではF1からB1までかなり早い昇級でしたが、小5の夏に奨励会試験に落ちています。半年後A2に上がり、奨励会に編入しました(平成17年4月。小6)

――子どもスクールで楽しかったことは何でしょうか?

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子どもスクールで将棋を教わっていたときは、先生が将棋を楽しく指す環境を作ってくださっていたと思います。とにかく将棋に勝てて楽しかったです。落ち込むことはなかった。プロになったのは2011年、高校3年のときですが、スクールまでは将棋の楽しさを教えてもらったことに感謝してます。

――高見さんは現在、子どもに教える機会もあると思いますが、子どもスクールでの経験が何か生きていますか?

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子どもに説明するときに、分かりやすい言葉を使うことなどに、生きています。
職員の石橋さんと伊藤沙恵さんの存在がなかったら、スクールに行くこともなかったかもしれないので、違う人生になっていたかも。そういう面では恵まれているのでラッキーボーイかな。

――ありがとうございました。

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(取材:将棋連盟事業部道場課)

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取材協力高見泰地七段

1993年7月12日生まれ。神奈川県横浜市出身。石田和雄九段門下。2018年5月26日、七段に昇段。

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