46歳悲願の初タイトル、木村一基九段が刻んだ新たな歴史。王位戦第7局観戦記

46歳悲願の初タイトル、木村一基九段が刻んだ新たな歴史。王位戦第7局観戦記

ライター: 遠藤結万  更新: 2019年09月28日

東京都千代田区、都市センターホテル。王位戦は、第7局までもつれ込む大激戦となった。

王位、豊島将之二冠。29歳。挑戦者、木村一基九段。46歳。

知らない人から見れば、単なる将棋の一局に見えるかもしれない。人によっては、伸び盛りのタイトルホルダーに、ベテランが挑戦する......そんな構図に見えるだろうか。

永遠に語り継がれる一瞬というものが、世の中には存在する。

モハメド・アリにとってのキンシャサが、日本代表にとってのジョホールバルが、イチローにとってのWBCがあるように、将棋界にも、そういった瞬間は存在する。

羽生善治九段なら、谷川浩司王将を破り、タイトル七冠を独占した瞬間。
加藤一二三九段なら、中原誠名人を相手に終盤で詰みを発見し、念願の名人位を獲得した瞬間。

いや、極論するならば......タイトルを獲得した棋士は誰でも、そんな一瞬を持っている、と言ってもいいかもしれない。スポーツ界において優勝が特別であるように、タイトルというのはそれだけ、重い。

そんな「一瞬」を求め、幾多の棋士がタイトルを熱望する。あるものはタイトルを獲得し、あるものは挑戦して破れ、あるものは諦める。

将棋界は残酷な世界だ。タイトルを獲得する棋士は大抵、遅くとも2回か3回の挑戦で初タイトルを獲得し、第一人者として認められる。

初タイトルか。防衛か。その差はあまりに大きい。

この対局ほど、振り駒(駒を振って先手後手を決める)が注目された対局もないのではないか。

将棋は基本的には先手が有利だ。だから、振り駒の結果で、どちらかが直接損することはないように、例えば第1局が先手なら、第2局は同じ棋士が後手...と調整される。

しかし、第7局だけは違う。「次」がないのだ。

対局室で、係が駒を降る。いつもの三倍以上手を動かしているように見えた。

振り駒の結果は、豊島王位の先手。運命が、動く。

▲2六歩、△8四歩、▲2五歩、△8五歩と相掛かり調の出だしになったところで、豊島王位が▲7六歩。角道を開け、角換わりを明示する。

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10時ごろだっただろうか。△6五歩と、木村が仕掛ける。「行くんだ」と控室から声が漏れた。木村は、この運命を分ける第7局でも、後手番から積極的に仕掛けていく。

この仕掛の手順は、竜王戦挑戦者決定戦(第3局・豊島勝ち)で指された手順と似たものだった。

「二人だけの決着をつけようということだろう」という言葉が控室で漏れた。勝つだけなら、戦法を外すことも考えられる。しかし、木村九段はあえて、自分が負けた変化に飛び込んだ。

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木村一基。九段。順位戦A級通算5期、竜王戦1組通算10期。トップ棋士の一人であることは、疑いようがない。

しかし、木村九段は、決して、早熟の天才棋士ではない。

難関と言われる三段リーグを抜けるのに6年を要し、プロ入りは23歳。最近なら遅すぎるわけではないが、早いとは言えない年齢だ。

初のタイトル挑戦は、32歳、竜王戦。棋士として油の乗り切った年齢だが、ラストチャンスと考えてもおかしくはない。 それから......挑戦すること、6回。

2005年、竜王戦。0勝4敗で敗退。
2008年、王座戦。0勝3敗で敗退。
2009年、王位戦。3勝4敗で敗退。
2009年、棋聖戦。2勝3敗で敗退。
2014年、王位戦。2勝4敗1持将棋で敗退。
2016年、王位戦。3勝4敗で敗退。

そして、2019年。王位戦。気づけば、木村九段は46歳になっていた。

初タイトルから14年。一人の人間が何かを諦めるには十分な時間が経っている。それでも、木村九段は、再びこの舞台に帰ってきた。4度目の王位戦挑戦だ。

将棋界の人間は、口を揃えて木村九段を称賛する。なぜか。それは、タイトル挑戦そのものが、とてつもなくハードルの高い偉業だからだ。

タイトル戦の予選はトーナメント戦。一敗もできない中での勝ち抜きだ。棋戦によってはリーグを設けていたり、順位によって敗者復活がある棋戦もあるが、それとて、トップクラスの棋士達の中で勝ちあがらなくてはいけない。 そして、リーグに残留し、高い順位を保ち続けるためには、常にトップクラスのパフォーマンスを、何十年も持続しなければいけない。凄まじい鍛錬と自己抑制の賜物だ。

何年にも渡ってタイトルに挑戦し続けるということは、いわば、全員参加のトーナメント戦(タイトル保持者を除く)で、何度も優勝するようなものだ。

多くの棋士が「タイトル挑戦こそが最も難しい」と言う。

タイトル獲得と挑戦の間には高い壁があるのは確かだが、それでも、その確率は二分の一。どんなに長くても、4勝すればタイトルに手が届く。

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最初に前例から離れたのは豊島王位だった。▲4六角と、好所に角を据える。

ジリジリとした戦いが続く。もともと将棋は先手が有利なゲームだ。つまり、先手が悪い手を指さなければ、微差ではあるが先手が指しやすい。

そして、同時に大事なことだが、基本的に盤面は、一手先に指す先手の方に、リードする権利がある。

もちろん、相掛かりにするか横歩取りにするか角換わりにするか、など大まかなところで後手に選択権もあるのだが、やはり一手先に指す先手のほうが、長期戦にするか、短期で仕掛けていくかなどの選択はしやすいのだ。

つまり、先手のほうが研究しやすい、ということがいえる。

そして、豊島王位は、研究を決して怠らない棋士だ。

57手目、▲7七同玉。指しづらそうに見える手も、わずか一分で指す。その後も、時間を使い丁寧に指し進める木村九段とは対照的に、殆ど時間を使わずに指していく。

これが、タイトル戦における豊島王位の戦い方だ。徹底して序盤は研究し、時間を使わずに研究通りに指し、そして大事な終盤で惜しげもなく時間を使えるようにする。

64手目、△6四同銀の時点で、持ち時間にはなんと3時間の差がついた。

先程書いたとおり、挑戦は並み居るトッププロたちを倒し、たった一人しか選ばれない、狭き門だ。

高い勝率を毎年維持し、どんなときでも勝負を諦めない......。そんな姿勢がなければ、継続的な挑戦は不可能だ。

その意味では、豊島将之王位もまた、そんな棋士の一人だろう。

豊島王位は、史上最年少で奨励会に入会した。当時は「史上初の小学生棋士か?」とも騒がれた。流石に小学生では昇段まで至らなかったものの、中学二年にして最速で三段リーグ入り。

言うまでもなく、「中学生棋士」というのは、「神武以来の天才」加藤一二三九段、永世位の資格を持つ谷川浩司九段・羽生善治九段・渡辺明三冠の三棋士、そして御存知の通り、藤井聡太七段の五人である。

つまり、中学生で棋士になるということは、将棋界の歴史に確実に名を残すということだ。

しかし、そこから三段リーグを抜けるのに...二年半を要した。

高校二年でプロになってからも、豊島王位の評価は常に高かった。「天才」と言われ、タイトル候補と見られていたことは間違いない。

しかし、タイトルまでの道のりは、決して順風満帆ではなかった。

2010年、王将戦。2勝4敗で敗退。
2014年、王座戦。2勝3敗で敗退。
2015年、棋聖戦。1勝3敗で敗退。
2017年、王将戦。2勝4敗で敗退。

豊島王位もまた、4回の挑戦失敗を経験している。タイトル失敗から再挑戦することは、想像以上に体力と気力を使うはずだ。

しかし、5回目の挑戦にして昨年羽生棋聖を破り、念願の初タイトルとなる棋聖位を獲得。それからの活躍は......ご存知のとおりだ。

この王位戦は、いや、竜王戦の挑戦者決定戦を含めた「十番勝負」は、まさにそんな不屈の精神と、鍛錬と、そしておそらくは棋士としての意地がぶつかり合う対局になった。

決して諦めない棋士の意地。そして、天才と言われ、その重圧に負けなかった棋士の意地。

王位戦第4局が、タイトル戦最長手数となる285手の大激戦となったように、王位戦の7局全てに、二人の生きてきた軌跡がぶつかるように煌めいていた。

△5一飛。豊島王位はここまで差がついていた時間を惜しみなく投入し、この局面で封じ手となる。局面は、互角ながらわずかに豊島王位が指しやすい、との評判。

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しかし、簡単に差がつく二人ではなかった。

二日目、封じ手を開け、しばらくは事前の予想通りに進行する。しかし、▲6八玉。そして、▲6二歩と、少しずつ控室の予想とは異なる手が、豊島王位の手から指され始める。

こういった手は、予想を上回るものすごい好手か、疑問手か、どちらかである。そして、今回に関して言えば、疑問手だったのかもしれない。

△7七銀に豊島玉はたまらず逃げ、守りの要ともいえる金が、タダで取られてしまう。そして、△6九角。

強烈な角の打ち込みから、△3六角成と高所に馬を作られてしまう。

一見、決まっていてもおかしくない場面。しかし、対局者の二人には、そんな雰囲気はない。

むしろ、見る限り、木村九段の方が苦しそうにすら、見える。

なんという、苦しい競技なのだろう。

差がついていれば、勝っている方は楽ができそうなものなのに、将棋ではむしろ、勝っている方が、追われている方が、苦しい。大きな勝負では決して楽になることはできない。

「負けと知りつつ、目を覆うような手を指して頑張ることは結構辛く、抵抗がある。でも、その気持ちをなくしてしまったら、きっと坂道を転げ落ちるかのように、転落していくんだろう。」という木村九段の有名な言葉がある。

負けそうなときにそれでも、指し続けるのは辛い。しかし、このような大きな勝負ではむしろ、勝っている方が、追われている方が、苦しい。決して楽になることはできない。

この二人は、そんな勝負を、物心がついてから、何十年にも渡って繰り広げてきたのだ。破れても破れても、また1から立ち上がり、盤に駒を並べてきたのだ。

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やがて、検討は打ち切られ、静かに皆が準備を始める。豊島王位は一分将棋まで考えるが、手段が見つからない。 110手目、△2二飛と指したところで、豊島王位は静かに投了を告げた。投了図では、受けに使い、飛車を止めていた△5三桂が△4五桂と捌け、光っている。

一手の緩みもない、木村新王位の会心譜と言っていいだろう。

46歳3カ月での初タイトル。7回目の挑戦での初タイトル。いずれも史上初だ。間違いなく、この七番勝負は将棋の歴史に残るだろう。対局上で涙ぐみながら勝利の感想を語る、木村一基新王位。その瞬間は確かに、永遠だった。

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※写真は王位戦中継ブログより

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遠藤結万

ライター遠藤結万

ライター。振飛車党で向かい飛車が大好き。著書に「エッセンシャル・デジタルマーケティング(技術評論社)」。 「ハーバー・ビジネス・オンライン(扶桑社)」連載中。

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