将棋川柳・第4乃句『飛車手王手をする時のその早さ』(万句合・明和7年(1770年)の投句)

将棋川柳・第4乃句『飛車手王手をする時のその早さ』(万句合・明和7年(1770年)の投句)

ライター: 谷木世虫  更新: 2019年05月27日

将棋川柳

「川柳」という言葉は、柄井川柳(からいせんりゅう/1718年~1790年)という人の名前を取って付けられたものです。まっ、その辺はおいおいお話をさせていただきますが。柄井川柳が生きていたころの時代、今で言う"王手飛車"はそうとは言わず、「飛車手王手」(ひしゃておうて)、あるいは「王手飛車手」と言っていました。それがいつごろから現代風になったのかは分かりませんが。飛車手王手の方が語感が柔らかく感じるのは、私の思い入れが過ぎるのでしょうか。

それはともかく、王手飛車を掛けるときの動作は、現在でも素早く、厳しいものがあります。ビシッ! と、間髪を入れずに指すそのスピードといったら、谷川浩司九段も真っ青の光速流。掛けた方は得意の絶頂。ヨォッ、大統領!! エ~イ、ついでだ、音羽屋に成田屋も持ってけ泥棒~!! と、つい声を掛けたくなるものがあり、指がしな打っているのです。

今日も町の将棋道場は飛車手王手のオンパレード。図1の局面を迎え、初心者とおぼしき先手の人は、ここで▲2四歩と飛車先を切りにいきました。

【図1は△3二飛まで】

参考までに図1に至る手順を示すと、初手から▲7六歩△3四歩▲2六歩△3五歩▲2五歩△3二飛で図1になります。▲居飛車vs△早石田の定跡の出だし。

初心者は、「相手の角頭は弱点」「飛車先の歩の交換は三つの得。よって、交換できるときは交換した方が良い」と教わるものですから(オイラもそう教わりました)、図1で▲2四歩とするのは当然な流れといえます。初心者は素直なんです。

しかし、図1での▲2四歩は毒饅頭。後手の罠(誘い)でもあるのです。

▲2四歩以下、△同歩▲同飛△3六歩▲同歩△8八角成▲同銀△1五角(図2)で飛車手王手! 後手の人の指し手の速かったのナンのって、まさに間髪を入れずでした。

【図2は△1五角まで】

この手順は定跡書にも載っており、序盤の基礎知識中の基礎知識なのですが、初心者はだいたいウロ覚えであり、一度は引っかかるのですヨ(そうして覚えるのが将棋でもあるのですが......)。

この変化は、"知っているか・知らないか"というレベルの話ですが、多少、先輩の後手の人は図2の局面で得意満面。どうだ参ったろ~! 早く負けたと言え!

といったそんな気持ちが、相手の心情を省(かえり)みず、あからさまに出ておりました。

やられた先手の人はゆでダコのごとく真っ赤な顔。こういう所作、また、情景は時代を超えてこれからも変わりないのでしょうネ、きっと。

谷木世虫

ライター谷木世虫

東東京の下町、粋な向島の出身。大昔ミュージシャン、現フリーランス・ライター。棋力は低級ながら、好きが高じて道場通いが始まる。当初、道場は敷居が高く、入りにくい所だったが、勇気を出して入ると、そこは人間味が横溢した場所だった。前回は、将棋道場で聞かれる数々の「地口」をシリーズで紹介したが、今回は「川柳」がテーマ。これも地口同様、ユーモアと機知に富み、文化として残したいものとの思いで、このコンテツの執筆になった。

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前田祐司

監修前田祐司八段

1954年3月2日生まれ。熊本県出身。アマ時代から活躍し、1970年、71年と2年連続でアマ名人戦熊本県代表として出場。1972年に4級で奨励会入会。1974年9月に四段となり、2000年9月に八段となる。
早見え、早指しの天才肌の将棋で第36回NHK杯では、谷川棋王、中原名人を撃破(※肩書きは当時)。
決勝戦で森けい二九段を千日手の末、勝利し棋戦初優勝を飾った。2014年6月に現役を引退した。

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