「将棋史上最も素晴らしかったタイトル戦は?」観戦記者の目に映った平成の棋界

「将棋史上最も素晴らしかったタイトル戦は?」観戦記者の目に映った平成の棋界

ライター: 相崎修司  更新: 2019年04月18日

平成の棋界を振り返るという執筆依頼を受けたわけだが、筆者にとって平成時代は3分割される。すなわち、ただの一将棋ファンに過ぎなかったころ(平成元年~12年)と、将棋専門誌「近代将棋」の編集部員として過ごした時代(12年~19年)、そしてフリーランスの観戦記者として現在にいたるまで(19年~)となる。

一将棋ファン時代

平成元年の筆者はまだ小学生だったが、すでにプロ将棋のファンであったことは間違いない。当時に作った文集を読み返す機会があったが、そこに会いたい有名人として「谷川浩司」の名前が挙げられていたことが裏付けとなるだろう。

正しくは、「谷川浩司名人・元王位」と書いてあったのだが「名人」はまだしも「元王位」に関してはどこで知ったのだろうかと思う。当時の筆者はのちに働くことになる近代将棋をはじめとする将棋雑誌などは存在そのものすら知らなかった。もちろんインターネットなどは影も形もない。新聞観戦記(当時の自宅で購読していたのは全日本プロ将棋トーナメントが載っていた朝日新聞のみ)とテレビ将棋、そして単行本の棋書だけでそこまで情報を追えるものだろうか。実に不思議である。

谷川の存在についてはよく知っていたのに「羽生善治」というプロ棋士を知ったのがいつだったのかは、全く記憶にない。当時愛読していた「将棋初段への道」に登場する小学生について「この羽生って子は、ものすごい強いんだなあ」と敬服していたのは覚えているのだが。

筆者が改めて書くまでもなく、平成初期の将棋界は谷川―羽生という黄金カードの時代である。その一つの区切りが平成8年2月14日の羽生七冠誕生であることは間違いないだろうが、この時代の最も印象に残るタイトル戦としては平成4年の第5期竜王戦七番勝負を挙げたい

谷川竜王(棋聖・王将を含む三冠)に挑んだ羽生二冠(王座・棋王)が4勝3敗で竜王を奪取したシリーズだが、第1局で現れた第1図から、△5七桂▲7九玉△7六歩▲同銀△同飛▲5四銀△同玉▲5五歩△同銀▲2四飛△同歩▲6五角△6四玉▲7六角(第2図)と進めて、△6八銀以下の即詰みに打ち取った順には谷川光速流の神髄が表れていると思う。

【第1図は▲4七同金まで】

【第2図は▲7六角まで】

その全盛期にあった谷川を破り、羽生時代が到来したということで、この七番勝負は歴史の転換点と言えるのではないだろうか。「将棋史上最も素晴らしかったタイトル戦は?」というアンケートが行われたら、上位入賞は間違いなしのシリーズであるはずだ。

「近代将棋」編集部員時代

続いて近代将棋時代について。当時の近代将棋編集部には、創刊者の永井英明さんが別格の存在としていらっしゃったが、既に編集の一線からは退かれていた。編集長を務めていた中野隆義さんが50になるやならずや、のちに中野さんの後任として編集長となる吉野貴之さんが30代、そして主に詰将棋を担当されていた森敏宏さんと堀内和雄さんがアラカン。他に短期間在籍された方も数名いたが、筆者を含めたこのメンバーで雑誌を作っていた。

年齢からみても吉野さんと筆者が特に多忙となるのはご想像いただけるだろう。改めて振り返ってみると、大学を卒業したばかりで編集のへの字も知らない人間をどれだけ使いまわしたのかと思わなくもないが、その経験が今に至るまで生きている。

中でも、当時は四段になりたてほやほやだった渡辺明現二冠が書く自戦記の担当編集を任されたのは大きかった。自戦記に掲載するため、渡辺の対局写真を撮りまくっていたが、その結果として各方面の関係者に名前と顔を覚えていただいたことにつながる。

谷川―渡辺、羽生―渡辺の初手合いの写真はいずれも撮影したが、編集部を離れるときにフィルムも紙焼きも置いてきてしまった(編集部の経費だったのだから当然か)。のちに近代将棋が休刊し、親会社も倒産してしまったので、一連の写真はどこへ行ったのだろうか。おそらく処分されてしまったのだろうが、実にもったいないことをした。

唯一残っているのが、デジカメで撮影した(当時は雑誌で使用する写真が紙焼きからデジタルデータへ移行する過渡期だった)平成16年の第17期竜王戦七番勝負第1局。森内俊之竜王に渡辺が挑戦し、開幕局がソウルで行われたシリーズである。対局前日の観光から同行させていただき、シャッターを押しまくっていた。これはデータをMOディスクに落として今でも保管してあるのだが、MOディスクを現在のパソコン環境でどうやって再生するかは、やや頭の痛い所だ。

フリーランスの観戦記者時代

平成19年3月に永井英明さんの「盤寿を祝う会」が行われたが、これを一つの区切りとして、筆者は近代将棋編集部を離れる決意をしていた。そのことを初めて他者に打ち明けたのが、盤寿を祝う会の二次会である。その現場で観戦記者の大先輩である池崎和記さんから「君は早くフリーになったほうがいい」と言っていただけたことは、自信につながった。

それからの10余年はあっという間だった。新聞観戦記も運よく3棋戦で書かせていただく機会に恵まれ、現在に至っている。

運がよかったという意味では、平成29年の第30期竜王戦七番勝負と30年の第31期竜王戦七番勝負、その双方で決着局を観戦したこともそうだ。前者は羽生永世七冠誕生の一局、後者は羽生が27年ぶりの無冠となった一局である。第31期竜王戦第7局にて筆者が長机から撮影した写真を載せておきたい。1枚目は終局後、報道陣が入ってくるまでの両対局者。2枚目は感想戦が終わり、駒が片付けられる時のシーンである。

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終局後、報道陣が入ってくるまでの両対局者の様子

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感想戦が終わったあとの様子

平成の早い時代から「いつか観戦記者になる」という夢は持っていた。そのために努力を積み重ねてきたとは、お世辞にも言えないが、その一念を持ち続けていたことが、歴史的瞬間の現場に立ち会える幸運に結びついたのではと思う。その幸運をこれからは将棋ファンの皆様に少しでも還元できるように努めたい。

撮影:相崎修司

「棋才 平成の歩」平成の将棋界を年表・コラムで振り返る特設サイト

相崎修司

ライター相崎修司

2000年から将棋専門誌・近代将棋の編集業務に従事、07年に独立しフリーライターとなる。2016年現在は竜王戦、王位戦・女流王位戦、叡王戦、女流名人戦で観戦記を執筆。将棋世界などにも寄稿。

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