佐藤康光九段が感じた棋士の凄み、郷田真隆九段の「△7五歩」【平成の将棋界を振り返る】

佐藤康光九段が感じた棋士の凄み、郷田真隆九段の「△7五歩」【平成の将棋界を振り返る】

ライター: 佐藤康光九段  更新: 2019年03月26日

平成14年に第73期棋聖戦五番勝負で郷田真隆棋聖に挑戦者として挑み、フルセットの末、棋聖のタイトルを初めて獲得しました。また同時に初の二冠(棋聖・王将)も達成しました。

それまで棋聖戦は、挑戦者にもなったことがなく、途中で敗退してしまっていたので、そういう意味では、私にとっては「縁遠い」棋戦でした。

第72期棋聖戦で郷田九段が羽生善治棋聖から棋聖を奪取し、その年の就位式に出席をしました。実は、その当時、あまりそういった式典に出席することが少なかったので、偶然にも出席したといった感じでした。

そして、その翌年に自分が郷田棋聖の挑戦者となって、こんなこともあるのか、と不思議な縁みたいなものを感じました。

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第73期棋聖戦五番勝負第3局終局後の模様。平成14年7月4日に箱根小涌園で行われた。

五番勝負は、私が2連敗して第3局目を迎え、厳しい内容ながら第3局、第4局と私が勝ち、2勝2敗で迎えた第5局は、非常に内容の濃いもので、実際に将棋史における分水嶺となった一局だと思います

具体的には、角換り腰掛銀の将棋で私が▲2八角と打ったところが問題の局面です。この角打ちは、当時先手の決定打とも言われていた手です。ただ、この手に対して郷田棋聖がわずか4分の考慮時間で△7五歩と指しました。当然ですが、郷田棋聖がご自身の研究で温めていた手です。この対局で初めて披露した郷田棋聖の新構想でした。しかし、勝負は、激戦の末私が勝つことができました。ただ、郷田棋聖の指した新手が悪かったわけでもないのですが、どういう訳か、その後しばらくはこの手は他の対局でもほとんど現れませんでした。

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この第3局で、佐藤王将(当時)は、終盤の秒読みの中、詰みを見つけて勝利した。

ところが10年の時を経て突如として、この△7五歩が主流になり始めました。特に、第25期竜王戦七番勝負(渡辺明竜王-丸山忠久九段)の前後では、こぞって皆が△7五歩と指していたと思います。

そういう意味では、郷田さんの数ある新手の中でも、この△7五歩は、かなり価値のある新手ではないかと思っています。その後、この△7五歩の登場によって、▲2八角の形は絶滅しました。

棋聖戦での結果も影響したと思いますが、この△7五歩には、一見して少し違和感があります。というのも、△7五歩に▲同歩として△8四飛と指しています。やや専門的ですが、この当時は、飛車は8二にいるのが、攻めにも受けにも利いている、というのが定説でした。それに対して飛車を8四に浮くのは、攻撃一辺倒でそれは危険な手でもあるからです。その感覚が受け入れにくいというのがあるからです。ただ、その後しばらくして、他の棋士がほとんど△7五歩を指したことから、改めて郷田さんの柔軟な発想に感心しました。郷田さんの研究によるこの一手が一旦は誰も見向きもしなかったにも拘わらず、しばらくの時を経て、再び評価され、それが最善として定着したことに、改めて郷田さんの研究量と読みの深さに凄味を感じました

【図1は△7五歩まで】

この対局の終盤戦は実に難解で、結果的に私が勝つことができましたが、もう一つ強く印象に残った出来事がありました。 郷田棋聖が△6九銀と打ち、それに対して私が▲7一飛、そして△5八銀成と進んだところが問題の局面です。△5八銀成に変えて、△8七歩と打つ変化があることが分かりました。実は、この手については、対局中は、読み切れてはいませんでした。ですが、私が驚いたのは、この変化手順自体ではなく、対局が行なわれた1~2ヶ月後に発行された月刊「将棋世界」の中で宮田敦史七段(当時四段)の連載「終盤のメカニズム」で△8七歩を含む膨大な変化手順が言及されており、その研究内容の質と量に大変驚きました

対局中は、私も持ち時間の制約もあり、そこまでは読んでいませんでした。ただ、宮田さんが、この膨大な変化手順を独力で考え、対局者であった私以上に研究し、しかもその精度の高さについて驚愕に値します。コンピュータソフトの影響のある現代ならば出てくる手順かもしれませんが、改めて今この記事を読み直してみても、私自身驚く変化手順が書かれています。ぜひ有段者の方でしたら、実際に盤に並べてみて頂きたいと思います。攻めから一転受けにまわる手順や、一見受けの無いと思われる局面でも想定外の受ける手があったりして、まさにその考察に凄味を感じ、仰天し感動を覚えました。逆に言えば、この対局のこの局面が、最後の最後ところまで研究してみないと、どちらが勝ちかが分からないといった、それだけ難しくもあり、面白い局面でもあったわけです

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佐藤康光九段

プロ棋士としての能力の凄味というか、プロがプロの凄味を感じたというか、もちろん対局相手としての凄味は、郷田さんの研究に対して感じましたが、終わったあとで、この記事を読んで宮田さんに対しての凄味を感じました。繰り返しになりますが、この変化はぜひ並べて体感して欲しいです

平成初期から中期にかけては、プロ棋士としての能力の凄味が極限に達したというか、昭和の時代とは異なる、そういった凄味を感じることができる将棋が多かったというか、人間同士の頭脳のぶつかり合いが昇華した時代が平成だったように思います。平成の最後にAIの登場で、将棋の研究も激変しました。今後、プロ棋士は、AIと共存してゆくことになるかと思います。

もちろん今後は、将棋のより真理に迫った驚きというか感動を感じる時代になっていくと思います。ですが、平成初期の頃に独力で何日もかけて1局の将棋の研究に邁進し結論を導き出してきたこと、そして、それが現代の将棋と比較しても全く遜色のないものであったことを平成の終わりに近づき、今になってより感じることができます。そしてそういう事実が実際に存在したことを知って欲しいと思っています。

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佐藤康光九段

平成時代も想像すらしなかった新しい将棋の楽しみ方の出現、そして将棋の研究に関する技術革新などがありました。新しい元号を迎えても、また今までとは違った手法や側面から将棋というものを皆さんに見て、知って、楽しんでいただきたいと考えています。また将棋自体は変わってないというのが一番の特徴でもありますので、その格式を保ちつつも、無限の可能性が将棋にあることをファンの皆さんにお伝えすることができればと思います。そういった環境を創ってゆくのが今の私の役目であると考えています。

撮影:常盤秀樹

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佐藤康光九段

ライター佐藤康光九段

現在、日本将棋連盟会長として団体を牽引しながら、プレイヤーとしても第一線で活躍中。タイトル獲得数13期、永世棋聖有資格者。まぎれもなく平成を代表する棋士の一人。

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