将棋川柳・第2乃句 『詰めた王 一(ひ)ト手のことで つん逃がし』(誹風柳多留九十七編第十三丁)

将棋川柳・第2乃句 『詰めた王 一(ひ)ト手のことで つん逃がし』(誹風柳多留九十七編第十三丁)

ライター: 谷木世虫  更新: 2019年03月02日

この句、意味は分かりやすいのではないかしらン? 詰んでいた玉を、たった一手、間違えたために逃がしてしまったということですネ。

「イヤ~、敵は絶対、受けナシのハズなんだ。オ~ヨ、皆まで言うネェ~、野郎は"受けナシ芳一(ほういち)"なんだヨ! コチトラ、そんなこと分かっていたんだ。言われなくたって、百も承知のお兄さんヨ。それを、野郎はシラッとした顔で受けるモンだから、こっちは鳩が豆鉄砲を食らったようになっちまったンだ。アったく、丸勝ちの将棋で、寿司屋での酒が浮かんでたッテいうのにヨ~」

一体全体、何が起こったのか、本人すら分からない。まっ、こういうことはよくあることで、まったく予想していなかった手を指され、つい動揺してしまい、パニクッて指し手が乱れてしまう。オイラのようなヘボ将棋にはしょっちゅうあることで、同類相哀れむというところです。

その件(くだん)の彼の将棋ですが、どういう状況だったのか、ちょっと振り返ってみましょう。

【図1は▲8三金まで】

「図1」がその局面で、今、彼が▲8三金と打って詰めろを掛けたところです。ともに30秒の秒読みですが、自陣(先手陣)は安泰。「これで勝ち! さて、寿司屋に行って祝杯だ!」と思ってもおかしくありません(実際、後手に勝ちはありません)。しかし、ここで後手の人は、何食わぬ顔で△7一銀(図2)と打って受けたのです。これ、先手の彼にはまったく浮かんでいない手でした。そこに、対局時計のピッピッピッという音がしたからサァ大変。慌てた彼は、図2から▲6一成香△7二金▲7五桂△4七角▲7一成香△同金▲5六銀△8二香▲同金△同金▲8三香△6九角打以下、詰まされてしまったのです。

【図2は△7一銀まで】

実は、図2では後手玉に詰みがありました。図2から、▲7二金打(参考図)△同銀左▲同成香△同銀▲8二銀までの5手詰め。つまり、図2の△7一銀は受けになっていなかったのです。図2だけを詰将棋として出されれば、いつもの彼なら1秒とかからずに解けるのに......。

【参考図は▲7二金打まで】

また、実戦の進行で、図2から▲6一成香△7二金のとき、▲7五桂ではなく▲6四桂と打ち、△同歩▲6三銀でも先手の勝ちでした。

気の弛みが生んだ悲劇といいますか、勝負は下駄を履くまで分からないもの。将棋に勝って勝負に負けた彼は、きっと、2~3日、寝込んでいたかもしれませんネ。

さて、川柳に戻りましょう。この句の下(しも)にある「つん」の言葉、実はここがこの句の肝心なところだと思っています。「つん」は、その人間の心情を見事に表現していると思うからですネ。あえて訳せば、「つい逃がしてしまった」とか、「ホンのちょっとの勘違い、錯覚」とか、「うっかり、思わず」という意味になるでしょう。前述の将棋の例で言えば、「動揺してしまい」ということになりましょうか。句全体から見れば、下の句は「逃がすヘボ」でもかまわないと思いますが、比べれば一目瞭然、「つん」の方が人の弱さの匂いというか、味が感じられるのです。

えっ!? そんなことツンとも感じられないってか? そりゃどうも、ツンません。

今回はツンまらない落ちでした。ツンツン。

将棋川柳

谷木世虫

ライター谷木世虫

東東京の下町、粋な向島の出身。大昔ミュージシャン、現フリーランス・ライター。棋力は低級ながら、好きが高じて道場通いが始まる。当初、道場は敷居が高く、入りにくい所だったが、勇気を出して入ると、そこは人間味が横溢した場所だった。前回は、将棋道場で聞かれる数々の「地口」をシリーズで紹介したが、今回は「川柳」がテーマ。これも地口同様、ユーモアと機知に富み、文化として残したいものとの思いで、このコンテツの執筆になった。

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前田祐司

監修前田祐司九段

1954年3月2日生まれ。熊本県出身。アマ時代から活躍し、1970年、71年と2年連続でアマ名人戦熊本県代表として出場。1972年に4級で奨励会入会。1974年9月に四段となり、2000年9月に八段となる。
早見え、早指しの天才肌の将棋で第36回NHK杯では、谷川棋王、中原名人を撃破(※肩書きは当時)。
決勝戦で森けい二九段を千日手の末、勝利し棋戦初優勝を飾った。2014年6月に現役を引退した。

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