前田九段の〝お目を拝借〞第3手「鬼の棲み家」

前田九段の〝お目を拝借〞第3手「鬼の棲み家」

ライター: 前田祐司九段  更新: 2019年03月25日

周囲はもちろん、本人も〝まさか〞の昇級・昇段で昇降級リーグの1組(現B級1組)に上がり、「七段」となった私。対局料も上がると同時に、このクラスはNHK杯戦の予戦が免除される(すぐに本戦からのスタート)など、待遇が違います。早速、昭和60年(1985年)、「第35回NHK杯戦」の本戦に出場しました(NHK杯戦は「前期ベスト4」、「タイトル保持者、永世称号有資格者」、「A級とB級1組の棋士」、「成績優秀棋士」は無条件に本戦出場だったと記憶しています)。

これまで私のNHK杯戦は、予戦を戦って本戦への出場を目指していたのですが、残念ながら一度も予戦を通過したことはありませんでした。テレビ対局への出場は、テレビ東京ほかが主催した「早指し選手権戦」だけ。ただ、残念なことに、テレビ局の系列の関係で郷里の熊本県では放送されません(お隣の福岡県では放送されていた)。数少ない私の地元の将棋ファンからは、「ぜひともNHK杯戦に出場してください」と言われ続けていたのですが、なかなかそれが果たせず申し訳ない思いでした。しかし、昇降級リーグの1組に上がり、やっと出場することができるようになり、嬉しかったことを思い出します。よし、これで勇姿が見せられる、とネ。

しかし、記念すべきNHK杯戦の本戦初出場の1局は、大先輩である宮坂さん(幸雄九段=引退)にあっさりヒネられ、敗戦。悔しいやら、情けないやら、みっともないやら......。


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さて、昭和60年6月に開幕した第44期B級1組の順位戦は総勢12人で、昇級2人・降級1人の総当たりというリーグ戦です。ちなみに、この期から「昇降級リーグ」という名称が変更になり、長年、馴れ親しんだ元の「順位戦」に戻りました。また、今期だけB級1組の定員は12人、また、降級は1人でした(現在は定員13人、降級2人です)。

B級1組と、その上のA級だけは他のクラスと違い総当たりなんです。中でもB級1組が一番、対局数が多いのですね。そして、「降級点」がなく、下位2人は即、B級2組に落ちてしまうのです。降級点とは、リーグの終了時点で規定の勝敗に達していない場合に付くもので(順位にも関係する)、ある回数、それを取ると下のクラスに落ちてしまう制度のこと(クラスによって、回数は違う)。B級1組とA級は、厳しいのですヨ。

でも、今だから言えるのですが、B級1組の1期目を迎え、私は「もしかしてこの勢いなら、連続昇級・昇段してA級・八段もあるかな?」と、密かに思っていたのです。まっ、それはすぐ、「君はノー天気だネ」と言われるのですが......。


結婚後、維持している70㎏台の体重は変わらず、軽いフットワークのもと、エネルギーはすべて脳味噌に向かい、勢い込んで1回戦に臨みました。でも、現実は甘くなく、あえなくショボン。よし、2回戦はと思ったものの、これもショボンボン。クソォ~、次こそはと思ったら、勢いが空回りして、再三のショボンズ。開幕からいきなり3連敗。身のほどを知ることになり、連続昇級・昇段どころか、降級を心配する状況になったのです。さすが「鬼の棲み家」と言われるB級1組。私の技量では「家賃が高すぎ」ました。


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こうして夏が過ぎ、9月の4回戦を迎えるのですが、このころになると少し、冷静さを取り戻していました。自分らしく指そう、背伸びをしてもしょうがないと思い、盤前に座したのを憶えています。

この将棋は先手だったため、私はためらわず「矢倉」を選びました。当時の矢倉は、初手から▲7六歩△8四歩▲6八銀△3四歩に、▲7七銀と上がる矢倉です(この後、▲7七銀では▲6六歩とする将棋が流行り、今また、▲7七銀とする矢倉が増えてきました。まさに、歴史は繰り返す、ですね)。さて、私の将棋はその後、▲2六歩と△4三金右を入れての▲6八角。今で言う、「森下システム」風の将棋にしました。

この将棋、私は3回、大長考をするのですね。1回目は午後1時半過ぎの41手目の53分。2回目は夕食休憩前から、明けにかけての55手目、同じく53分(夕休を含めると、実質1時間43分。休憩は50分間です)。そして午後7時半ごろからの59手目に、1時間21分考えました。特に、1時間を超える長考は、私にとっては「大大大長考」といえます。あとにも先にも、1局の将棋でこんなに考えたのは、これが最初で最後。それだけ、勝ちたかったのでしょうね~。

なお、夕食は出前を取っていましたが、胃袋が受け付けず、とても食べられる状況ではありませんでした。ちなみに、私の夕食のメニューはいつも、「カツ丼orカツカレー」のどちらかです。これは、「カツ」は「勝つ」につながるという、単なる(語呂を合わせた)願掛けです。


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願掛けにカツ丼やカツカレーを注文する棋士も多い(画像はイメージ)


ところで、一心不乱に1時間近く、またそれ以上考え続けるとどうなるか?

答えは「目の前が真っ暗になる=意識が飛ぶ」です。手の考慮に加え、勝とうという気持ちも重なりますから、体は無理をせざるを得ない...対局は"体に悪い"のですネ。この対局以降、健康を考えて無茶な長考は止めることにしました。

将棋は、2回目の長考で指した55手目の▲7五歩が主導権を得る一手となり、3回目の長考の▲5五角が、その後の大局を見た好判断となって、午後11時25分、難敵を破り、B級1組で初めての白星を挙げることができたのです。まさに、死に物狂いの勝利でした。

しかし、その後は"実力どおり"●○●となり、トータル2勝5敗というお寒い状態で越年となったのです。


降級の恐怖で歯の根が合わないお正月を過ごしたあと、10局の終了時点で3勝7敗。私は最終局に残留か降級かを懸けることになります。その勝負は昭和61年3月14日。さて、結果は? 以下、次回を乞・ご期待!

前田九段の〝お目を拝借〞

前田祐司九段

ライター前田祐司九段

1954年3月2日生まれ。熊本県出身。アマ時代から活躍し、1970年、71年と2年連続でアマ名人戦熊本県代表として出場。1972年に4級で奨励会入会。1974年9月に四段となり、2000年9月に八段となる。 早見え、早指しの天才肌の将棋で第36回NHK杯では、谷川棋王、中原名人を撃破(※肩書きは当時)。 決勝戦で森けい二九段を千日手の末、勝利し棋戦初優勝を飾った。2014年6月に現役を引退した。

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