前田九段の〝お目を拝借〞第2手「〝ま坂〞を登って七段に」

前田九段の〝お目を拝借〞第2手「〝ま坂〞を登って七段に」

ライター: 前田祐司九段  更新: 2019年02月13日

昭和の時代、棋士の「生活=人生」は順位戦を中心に動いていました。もちろん、他の棋戦をおろそかにしているわけではありません。ただ、対局料や昇段などのシステムが順位戦を基本にしているため、どうしてもそこが考えの中心になってしまうのです。

順位戦の各クラスの昇級定員は、年間でC級2組が三人、ほかはすべて二人という非常に狭き門。棋士が昇級・昇段を目指す姿は、あたかも坂道を一所懸命、エッチラ、オッチラと登る様に似ており、「順位戦=坂道」といえます。

しかし、坂道にも2種類あるのです。それは「上り坂」と「下り坂」。前者は主に「若手が登る坂」で、後者はほとんど「ベテラン専用の坂」です(ごくまれに若手棋士が紛れ込みますが......)。順位戦は急峻な坂ですから、勢いがないととても登れるものではありません。



ちなみに、私の昇降級リーグ2組(現在のB級2組)の成績は、1年目が4勝6敗、2年目が6勝4敗、3年目も6勝4敗、4年目が4勝6敗。残念ながら、一度も昇級争いに絡んだことがありません。

将棋は結局、「知恵比べ」。「頭の良さ」と「将棋の強さ」は比例するわけで、10年も棋士生活をやっていれば、それが身に染みて分かります。

例えば大山康晴十五世名人。よく"せっかち"な性格と言われていました(観戦記や本にもそう書かれている)が、この評は間違い。私は近くで名人と接し、長年見てきましたが、せっかちではなく、"あまりにも頭の回転が速すぎ、それに体が追いつかなかった人"というのが正確な表現ではないかと思っています。仮に、頭の回転速度に名人の体が追いついたとすると、100mを1~2秒で移動するといったイメージです。速すぎる頭の回転に体が追いつかないため、つい気ばかり急(せ)いて、周りの人に"せっかち"と映ったのではないでしょうか。

大山名人だけでなく、学校の勉強がよくできたという棋士はたくさんいます。意外かもしれませんが、棋士は秀才揃い。多少、世間知らずではありますがネ...

私は当時、昇降級リーグ2組も5年目に入り、「敵=他の棋士」を知り、己を知ったことで、人生の先がそれとなく見えていました。勢いもすっかりなくなり、毎年、降級点を取らないようにするのが精一杯。私の心境は、「こんな賢い連中とこれからも競争するノ? コチトラ頭は悪いし、あと何年、昇降級リーグ2組にいられるのかナァ~? トホホホホ~」というものだったのです。

よって、これ以上の昇級・昇段=昇降級リーグ1組(現在のB級1組)への昇級など、露ほどにも思ったことはありませんでした。ところが、人生にはもう一つ、「ま坂」という坂があったのです。



前回で結婚した話をしましたが、その際に彼女から一つ、条件が提示されました。「体重が80㎏を超えたら離婚」というのがそれ。婚活中、私は毎日、ジョギングをし、ダイエットに励んでいましたが、その甲斐あって、0.1トン近くあった体重を70㎏台にまで落とすことに成功しました。彼女と付き合い始めたころは、その体重。そして結婚となり、さぁ、これで毎日のジョギングは終わり、と思ったのですが、それは甘い考えとなり、結婚後も毎日、ジョギングの日々となったのです。体重は70㎏台を維持し続けます。

人間万事、塞翁が馬。それが昇級につながるとは考えもしませんでしたネェ~。



昭和59年(1984年)、5期目となる第43期昇降級リーグ戦2組は、開幕からなんと5連勝。これまで6勝が最多の勝ち星ですから、もうあと1勝でそれに並びます。ちなみに、5勝目は花村元司九段からでした。

どうしてこんなに好成績が挙げられたのか? ひとえに内助の功、と言いたいのですが。そうではありません。また、急に悟りを開いたわけでもナンでもないのです。理由は簡単。体重が減ったからなんですね~(その意味では、彼女が提示した条件が、功を奏していると言えなくもありませんが)。

私は以前、大山名人から「将棋に勝つ秘訣」を教わったことがあります。それは、「盤の前に座っていること」という、ただそれだけの教え。対局中に席を外すと集中力が途切れ、良い結果が得られないという意味です。

しかし、当時の私はヘビーウエイトのため、長時間ジッと座っていることなどできなかったのです。ところが、20数㎏の余分な荷物が減ったため、座り続けることが苦痛ではなくなったのですね。必然的に盤の前に座っている時間が長くなっていったのです。

また、婚活の成功により、それに費やす労力も不要になり、精神的に開放されたことも大きく影響していると思います。頭は悪いながらも集中力が高まり、私の棋力なりに手が見えるようになっていきました。やはり、大山名人の教えは本当だったのです。それまでほかに使われていたエネルギーというか、パワーというか、それらすべてが脳味噌に向かうようになり、徐々に能力(脳力かナ?)がアップ。開幕からずっとノーマークだったことも幸いし、アレヨアレヨの5連勝。6回戦は負けたものの、私の勢いは誰も止めることはできず、その後、4連勝。リーグ戦が終わってみれば9勝1敗という、ナンタルチア・サンタルチアの好成績。順位2位で"ま坂"の昇級・昇段=昇降級リーグ1組・七段に上がったのです。

世の中、どこでどうなるのか、まったく分かりませんネェ~。でも、一所懸命にやれば良いことがあるのでしょう。

【図1は△8二馬まで】

図は1985年3月13日、昇降級リーグ2組10回戦・前田祐司六段対吉田利勝七段戦(段位は当時)から。前田六段の6二角打ちに対して、吉田七段が7一の馬を8二に上がった局面。ここで前田六段は次の一手(図2)で勝ちを不動のものにした。

【図2は7七香まで】

正解は、▲7七香。以下△8三金に▲7二金と覆いかぶさる攻めで、99手で前田六段が勝利した。

前田九段の〝お目を拝借〞

前田祐司九段

ライター前田祐司九段

1954年3月2日生まれ。熊本県出身。アマ時代から活躍し、1970年、71年と2年連続でアマ名人戦熊本県代表として出場。1972年に4級で奨励会入会。1974年9月に四段となり、2000年9月に八段となる。 早見え、早指しの天才肌の将棋で第36回NHK杯では、谷川棋王、中原名人を撃破(※肩書きは当時)。 決勝戦で森けい二九段を千日手の末、勝利し棋戦初優勝を飾った。2014年6月に現役を引退した。

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