前田九段の〝お目を拝借〞 第1手「婚活」

前田九段の〝お目を拝借〞 第1手「婚活」

ライター: 前田祐司九段  更新: 2019年01月22日

間もなく、現役を引退して5年が過ぎようとしています。時の経つのは早いもの。歳を取ると毎年、時間の経過がより早く感じられます。人間、歳は取りたくありませんが、こればかりは仕方のないことですので、前を向いて歩きたいと思っているこのごろです。

さて、人生の先が薄っすらと見えはじめると、"何か自分の足跡を残したい"という気持ちになる人も多いのではないでしょうか? 私にもそうした思いがあり、以前、月刊誌『将棋世界』に4年ほど、「言い訳をしたい棋譜」というエッセイを連載していました。

手前味噌ながらそこそこ好評だったのですが、取り合えず一度、リフレッシュしようと一段落させました。しかし、まだ書き残しておきたいこともいろいろあったのです。

そこで、冷却期間を置いた今、このコラムで続編をとなった次第。引退棋士のよもやま話。しばらくの間、お付き合いいただければ幸いです。

         

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現役時代(2001年撮影)の前田八段。撮影:日本将棋連盟広報

私は本来、引っ込み思案でおとなしい性格。争いごとを好まない、根っからの平和主義者ですが、環境が人をつくるというか、勝ち負けの世界に身を置いていると、知らず知らずのうちに、負けず嫌いになるようです。

昭和57年(1982年)、28歳になっていた私はひと通り社会人としての経験を積み、ある一点を除いては充実した日々を送っていました。さて、その"ある一点"とは......。

それは「奥さん」がいないこと。この点については日々、ほとんど意識したことがなく、いなくても特に困らないのですが、当時の社会風潮は「所帯を持って一人前」、独身の男は「半人前」という認識だったんですね。

例えば、酒場で気分良く仲間と飲んでいると、決まって先輩から、「前田君、結婚はしないの?」と聞かれます。

この言葉、ほとんどの場合、"お前みたいなヤツは、彼女の一人もつくれないだろ~"という、実に人を小馬鹿にしたニュアンスが含まれているのです(私の受け取り方がヒネクレているのかもしれませんが......)。引っ込み思案から負けず嫌いになっていた私には、それがとっても悔しくて、悔しくて......。

さらにその年の11月、海外普及でブラジルに行ったとき、飛行機が乱気流に巻き込まれ墜落を覚悟したのですが、その時、同行していた永井英明さん(今は休刊となった月刊誌『近代将棋』の創刊者。故人)から「前田さん、結婚も経験しないで死ぬとは、かわいそうにネ~」との言葉を浴びせられ、悔しさは頂点に! これが直接の引き金になり、帰国後、結婚への活動を開始するのです。

         

そこで、まずは、0.1トン近くまで増えた目方の減量、また、タプタプの3段腹の解消に着手しました(これは秘密裏に進めたのです。婚活のためなどと知られたら、業界で大笑いされますからネ)。

いつの時代もダイエットは関心が高いのですが、当時はボクシングの世界チャンピオンが愛用する、「発汗クリームとサウナスーツのセット」が盛んに宣伝されていました。痩せたい部分(私の場合はお腹周り)に発汗クリームを塗り、サウナスーツを着てジョギングすれば減量は確実、という触れ込みです。ボクサーといえば減量。ましてや世界チャンピオンの愛用品だから、説得力が違います。

このころ私は、住まいを三鷹から世田谷区用賀に移しており、道の向こうに砧(きぬた)公園がありました。ジョギングにはおあつらえ向き。早速、前述の商品を購入したのです。

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用賀にある砧公園。春には桜が咲き多くの人が訪れる。撮影:常盤秀樹

そこから、私の生活サイクルは一変。起床は朝の4時。起きるのは辛いのですが、デブがドタバタ走る姿を人様の目にさらすのは見苦しく、やむを得ません。 ナニせ走るのは、高校2年生のときのマラソンの授業が最後。初めはゆっくりとスタートしましたが、3段腹のお肉がタップン、タップン、タップンプンなんですねぇ~。当然、1分もしないうちに息はゼェ~ゼェ~と上がって、小休止。しかし、どんなに苦しくても、中途半端で止めるわけにはいきません。脳裏には"お前は彼女の一人もつくれない"という言葉が浮かんでは消えていました。

でも、正直、最初の2週間は地獄でしたヨ~。ナンてたって、タップン、タップン、タップンプン~! ですからね~。

ところが、"虚仮(こけ)も一心"、"一念、岩をも徹(とお)す"。3週間目に入ると揺れが収まり、30分もの間、休みなく走れるようになったのです。それどころか、走ることで爽快な気分を感じるようになってきました(いわゆるランナーズハイ)。早寝早起き=午後8時就寝・午前4時起床という生活のため、必然的に夜間の飲食はナシ。これを半年ほど続けると、目方は70㎏台まで落ちたのです。これでハード面はひとまず完成。残るはソフト面へと移ったのでした。

        

それに関しては、私には優秀なブレーン、その道の達人といえる先輩がおりました。当然、イヤ、自然にそちらに足が向き、教えを請うことになります。

前田「先輩、女性とはどのように付き合ったらよいのでしょうか?」

宮田(利男・現八段・引退)「とにかく、飲ませて食わせろ。ただし、指1本、触れるなヨ。それはだいぶあとの話だ」

前田「はい、分かりました。でも、ヒョンな弾みで触っちゃうこともあるかと......」

宮田「うるせ~、ゴタゴタ言うんじゃね~。お前は真部さんとは違うンだ。それから祐ちゃん、言っとくけどこの戦法、餌をたくさん取られるからナ。それは覚悟しておけヨ」

前田「△□○×......」

宮田「そのうち、一人ぐらい、"気の毒がって"付き合ってくれる女性が出てくるかもしれないからナァ~」

上記の真部さんとは真部一男九段(故人)のことで、彼は「将棋界で一番、女性にモテる棋士。将棋界のプリンス」と呼ばれていました。とにかく女性にはモテモテのルックスだったのです。また、少林寺拳法は五段の実力で、「色男、金と力ばかりなり」という三拍子揃ったマレな人。もちろん、私にはそういう御方と勝負する気はありません。

宮田先輩は、"お前はとにかく、誠実にすること"と言いたかったのですね。また、言われたとおり、餌はたくさん取られました。でも、お蔭でナンとか希望は叶ったのです。これも皆、宮田先輩のお蔭。ありがとう、先輩!

前田九段の〝お目を拝借〞

前田祐司九段

ライター前田祐司九段

1954年3月2日生まれ。熊本県出身。アマ時代から活躍し、1970年、71年と2年連続でアマ名人戦熊本県代表として出場。1972年に4級で奨励会入会。1974年9月に四段となり、2000年9月に八段となる。 早見え、早指しの天才肌の将棋で第36回NHK杯では、谷川棋王、中原名人を撃破(※肩書きは当時)。 決勝戦で森けい二九段を千日手の末、勝利し棋戦初優勝を飾った。2014年6月に現役を引退した。

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