加藤一二三九段から見た升田幸三という棋士【加藤一二三の語る升田幸三の世界 前編】

加藤一二三九段から見た升田幸三という棋士【加藤一二三の語る升田幸三の世界 前編】

ライター: 古川徹雄  更新: 2019年01月17日

升田幸三をご存知ですか

昨年12月22日に東京武道館で行われた第14回U-18将棋スタジアムの会場に加藤一二三九段の姿があった。大会に参加している将棋ファンの小中高校生からはもちろん、将棋を知らない父兄や子どもたちですら加藤九段を見た瞬間に「ひふみん!」と反射的に声が出て笑顔になってしまうほどの人気ぶりだ。

整理券を配布した人数限定のサイン会には長蛇の列ができ、サインをもらい損ねた子どもたちが終了間際、サインや写真撮影、握手を求めると、それを制する日本将棋連盟の職員に「まあ、いいんじゃないの」と優しく対応。かつて、その将棋に対する真摯で厳しい姿勢から、声をかけるのもはばかられ、恐れられていた大棋士も、好々爺となり、いまや将棋界を代表する広告塔のような存在になっている。

この日、加藤は「升田幸三の世界」と題して講演を行った。加藤にとって升田幸三実力制第四代名人は全幅の信頼を寄せた大先輩で、結婚式の仲人を升田が務めたことからもその親密な関係がうかがえる。ケーキカットをする加藤夫妻を両側から見つめる升田夫妻の姿が写っている写真は有名だ。

早速、加藤一二三の語る升田幸三の世界をご紹介しよう。なお、講演は、一部割愛した部分もあるが、ご了解いただいきたい。

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第4回U-18スタジアムは東京武道館で2018年12月22日に行なわれた。撮影:古川徹雄

「升田幸三の世界」

加藤 今日は升田幸三実力制第四代名人のお話をすることになりました。現在の将棋界は藤井聡太七段や羽生善治九段(永世七冠)の活躍で大変なブームを迎えておりますけれども、そもそも将棋界の発展に尽力し貢献した棋士といえば、升田先生と大山康晴十五世名人の名が浮かびます。

升田先生と大山名人は木見金治郎九段一門の兄弟弟子で終生のライバルでした。将棋界の歴史でライバルは? と言いますと、まず思い浮かぶのが升田先生と大山名人ということになると思います。

私は小学校6年生の頃に升田先生と大阪で出会っております。升田先生も大山名人も関西出身のトップ棋士でしたから、対局等いろいろな用事で大阪の将棋会館にいらっしゃっておりまして、当時奨励会員だった私はお目にかかる機会がありました。思い出してみますと昭和26、7年頃のことですから古い話になります。

升田先生と言いますと、お若いころに大山名人から名人を奪取し、翌年大山九段を相手に防衛。同時期に王将も2期獲得、さらには当時のタイトル「九段戦」も制し全タイトルを独占いたしまして、史上初となる三冠制覇を成しとげ「三冠王」と呼ばれました。

升田先生とは私もよく戦いましたが、なんといっても升田先生は大山名人との対局が多く、実に167局を戦っております。 

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升田、大山から名人位を奪取、史上初の三冠王となる。所蔵:日本将棋連盟

升田先生にはいろいろと有名な戦いがありますけれども、升田先生はまず名人になることが第一の目的で、実際に名人になった。そして名人になる前の伝説というものがありますね。升田先生は常に名人になることを目標にそこに繋がる順位戦も非常に頑張っていらっしゃったんです。

【ここで加藤の言う伝説というのは、昭和30年の第5期王将戦、大山康晴王将・名人-升田幸三戦のことで伏線となるのが昭和26年の第1期王将戦の木村義雄名人-升田幸三八段戦だ。
王将戦の当時の制度は勝ち星に3つ差がついた時点でタイトル戦としての勝敗が決し、同時に香落ちに指し込まれるシステム。勝負が決した後も第7局まで平手と香落ち、いわゆる平香交じりで指し続けなければならない厳しい指し込み制といったルールだった。
名人戦に対抗した新棋戦、王将戦の売りとしてこのシステムが新聞社から提案され導入される際に、名人が香落ち下手を指す可能性を指摘し、名人の権威にかかわると反対していたのが升田。そんなことはあり得ないと当時の会長で名人でもあった木村が新聞社の顔を立てて導入を推し進めたのだが、当の木村が第1期王将戦で升田に香落ちに指し込まれる事態となって起きたのが陣屋事件だ。紆余曲折あって木村-升田の香落ちは実現しなかったが、4年後、二冠を保持していた大山王将・名人に挑戦した第5期王将戦で升田が再び名人を香落ちに指し込む事態が発生。このとき升田は香落ちでも名人大山に勝利。棋士を目指して実家を離れるときに母の物差しの裏に書いたという「この幸三、名人に香車を引いて勝ったら大阪に行く」という大望を成し遂げ、棋史に残る伝説を作った瞬間だった】

加藤 升田先生は私が知っている限りであの大山名人と9回名人戦で戦っていらっしゃるんですよ。私がトッププロになってからは立合いでですね、両名人の戦いを見守ったこともありました。

 

昭和46年に升田先生は、大山名人と名人戦七番勝負を戦って、絶好調でですね3勝2敗で追い込んだんですよ。あと1回勝てば升田先生は名人に復活するというチャンスを迎えたわけだけれども、残念ながらですね、そこで2連敗しまして名人になることができなかったんですよ。

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第30期名人戦七番勝負第1局(1971年4月7、8日)。所蔵:日本将棋連盟

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升田現役最後の対局。対戦相手は青野照市六段。観戦は脚本家の石堂淑朗氏。所蔵:日本将棋連盟

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講演する加藤九段。撮影:古川徹雄

【この名人戦では53歳の升田がアマチュアの戦法と軽視されていた石田流に独自の研究を加えた「升田式石田流」を引っ提げて登場。升田の久しぶりの大舞台への登場と升田式石田流の華やかな戦いぶりに、多くの将棋ファンが熱狂、一喜一憂した。升田の名手△3五銀が炸裂するなど名人戦史上屈指の名勝負となった】

この続きは、後編でお届けします。ぜひ、ご覧ください。

古川徹雄

ライター古川徹雄

観戦記者。通称ふるてつ。元将棋世界編集部。河口俊彦先生(八段・故人)の「対局日誌」に憧れ、作家・大崎善生氏の「聖の青春」に背中を押されて将棋界の門を叩き、田名後(現『将棋世界』編集長)門下となり今日に至る。元博報堂DYホールディングスグループ経営・教育コンサルタント。こぶ平(正蔵)に似ていると言われるが本人は大いに不満。Twitterアカウントはこちら

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