将棋地口・第16笑 『辛い権八、小紫』

将棋地口・第16笑 『辛い権八、小紫』

ライター: 谷木世虫  更新: 2018年12月23日

将棋地口

今年もあと数えられるところとなり、どことなく気忙(きぜわ)しい気分になってきました。いつの日も1時間は1時間で変わりないのですが、それが殊の外、早く過ぎていく気がします。そう感じるのはどうしてなのでしょうネ? チコちゃんにでも聞いてみようかしら?(あっ、ソレ、だいぶ前に放送していたようですね)。

それにしても今年はいろいろなことがありました。中でも台風や地震など、自然災害が記憶に残った年ではなかったでしょうか。被災された方々には掛ける言葉もありませんが、どうか気を強く持って明日に向かっていってほしいと願っております。

冬の始まりは人を"おセンチ"にさせるようですが、我が将棋クラブにはそういう繊細な感覚を持ち合わせているお客さんはいないようで、皆さん、今日も楽しい会話と一緒に、切った張ったの将棋をエンジョイしているのでした。そんな中、紅一点、久しぶりにケー子さんが来てくれました。当クラブには女性のお客さんもけっこういるのですが、本欄で女性が登場するのは初めてかもしれませんね。

ケー子さんは年配者ですが、棋力はアマ四段。若いときに女性のアマタイトルを獲得したこともある強豪です。将棋のほか落語も趣味で、時々、プロの落語家さんが出る寄席を借りて落語会を開くほどのレベルです。今日は好敵手であるアマ四段の男性と指しています。

「あぁ~、詰めろを掛けられちゃったワ」

図を迎えて聞こえてきた話から察すると、どうやらケー子さんに不利なようで、続けて、

「ア~ァ、"辛(つら)い権八(ごんぱち)、小紫(こむらさき)"も、とっくに通り越しているわネ~」

という地口を聞くと、かなり拙い状況のようでした。

ケー子さんが言った"辛い権八、小紫"という地口は、将棋クラブではしょっちゅう聞くもので、定番中の定番といえます。これは歌舞伎から取った地口ですが、歌舞伎の古典の出し物には大きく分けて「時代物」と「世話物」があり、"辛い権八、小紫"はどちらかといえば後者のもの。「時代物」は、江戸庶民の日常から離れた世界=武家や公家の世界、また、過去の出来事などを扱った出し物。一方、「世話物」は、江戸庶民の日常生活や話題、風俗などに題材を求めた演目です。

"辛い権八、小紫"は「浮世柄比翼稲妻」(うきよづかひよくのいなずま)という演目からきた地口で、ストーリーを簡単に言うと、鳥取藩士・白井権八が主家横領を企む伯父・本庄助太夫を殺して江戸に逃げ、その後、吉原・三浦屋の遊女・小紫と恋仲になるものの、強盗殺人を犯して処刑される。そして、小紫もその墓前で自害して果てる、というものです。いわば悲恋物語。こうした話に加え、本来は関係のないと思われる幡随院長兵衛の物語が絡まって上演されるケースが多いようです。

「白井(しらい)」が「辛(つら)い」に掛かり、悲恋物語の内容と相まって、将棋の局面が思わしくないときに「あぁ~あ、辛い権八、小紫だナ」と口から出るわけです。

 

私はそっとケー子さんの将棋を見に行き、後ろから覗いてみました。低棋力の私が見ても受けはなさそうで、また、相手の玉が詰むとは思えず、ケー子さんの負けが分かります。

「いや~どうしようもなさそうだけど、ネェ~席主、何か凌ぐ手はナァ~い?」

 

と、ケー子さんは私に気づいたようで、盤を見ながらこう愚痴っぽく聞いてきました。もちろん、私から答えを得ようとは思っていません。そこで私はひと言、こう言ったのです。

「そんなこと聞かれるとは、"辛(から)い権八"ですヨ」◆

【図は△5七桂成まで】

*図は先手、ケー子さんの玉に△5八成桂や△5八桂成、また、△5八銀など、いろいろな詰めろが掛かっています。これを受ける手はありません。対して、後手玉に詰みはなく、先手の最善手は"投了"です。

しかし、ケー子さんは投げきれなかったのか、最後のお願いとばかりに図から▲6四桂(参考図1)と王手を掛けました。

【参考図1は▲6四桂まで】

以下、△6四同飛▲5七銀△7二歩(参考図2)と進行。

【参考図2は△7二歩まで】

後手の手は大事を取ったものですが、この△7二歩は悪手でした。続いて、▲6四竜△同歩▲8五角(後手からの△5八飛を防ぐ攻防手)△6三桂▲7一と(参考図3)となり、この▲7一とが後手玉の詰めろ(次に▲6一銀△4一玉▲5二金以下)になり、形勢は逆転したのです。

【参考図3は▲7一とまで】

参考図1に戻って、ケー子さんの▲6四桂の王手には△4一玉と逃げ、▲7一竜に△5一銀打(参考図4)と受けておけば何事もなく、後手の勝ちでした。また、参考図2の△7二歩では△7八桂成(参考図5)と詰めろ(次に△6九飛成▲4八玉△3九銀▲同金△3七金▲同玉△3九竜以下)を掛けておけば、これも後手の一手勝ちでした。

【参考図4は△5一銀打まで】

【参考図5は△7八桂成まで】

終盤で王手をたくさん掛けられるのは誰しも嫌なもので、実戦は後手の人がそれを嫌ったような進行ですが、弱気は禁物という一局でした。

谷木世虫

ライター谷木世虫

東東京の下町、粋な向島の出身。大昔ミュージシャン、現フリーランス・ライター。棋力は低級ながら、好きが高じて道場通いが始まる。当初、道場は敷居が高く、入りにくい所だったが、勇気を出して入ると、そこは人間味が横溢した場所だった。前回は、将棋道場で聞かれる数々の「地口」をシリーズで紹介したが、今回は「川柳」がテーマ。これも地口同様、ユーモアと機知に富み、文化として残したいものとの思いで、このコンテツの執筆になった。

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前田祐司

監修前田祐司九段

1954年3月2日生まれ。熊本県出身。アマ時代から活躍し、1970年、71年と2年連続でアマ名人戦熊本県代表として出場。1972年に4級で奨励会入会。1974年9月に四段となり、2000年9月に八段となる。
早見え、早指しの天才肌の将棋で第36回NHK杯では、谷川棋王、中原名人を撃破(※肩書きは当時)。
決勝戦で森けい二九段を千日手の末、勝利し棋戦初優勝を飾った。2014年6月に現役を引退した。
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