そもそも▲3七桂と跳ねれない?4六銀、3七桂の形が消えた理由【第47回 矢倉の崩し方】

そもそも▲3七桂と跳ねれない?4六銀、3七桂の形が消えた理由【第47回 矢倉の崩し方】

ライター: 一瀬浩司  更新: 2018年08月04日

前回のコラムから、4六銀、3七桂の形の解説に入りましたが、まずは攻め方を見る前に、第1図のような形が数多くプロの実戦で指されてきたということを見ていきました。

【第1図は△4二銀まで】

では、第1図の形はなぜ突然なくなってしまったのか? そちらを今回のコラムでは見ていきましょう。まずは第2図をご覧ください。

【第2図は△4五歩まで】

平成27年1月29、30日、第64期王将戦七番勝負第3局、▲渡辺明王将ー△郷田真隆九段戦(肩書は当時)です。いま▲4六銀と出た手に対し、△4五歩と突いたところです。先手は▲4五同銀と取りたいところですが、△2八角成と飛車を取られてしまうため▲3七銀と引くよりありません。一見、出たばかりの銀を引かされて先手大損に見えます。しかし、先手は「銀を引かされた」のではなく、「4五に歩を突かせた」のです。以下△5三銀に▲4八飛と回り、△4四銀右に▲4六歩と突いて4筋から反発して先手が指せる。これが結論とされ、長い間この形は指されていませんでした。データベースで調べてみると、第2図の局面は、平成10年1月に指された次の対局が平成20年1月で、なんと約10年もの間指されていませんでした。

では、先手よしの将棋がなぜ平成27年に王将戦の大舞台で指されたのでしょうか? そちらの進行を見てみましょう。第2図から、▲3七銀△5三銀▲4八飛に△9四歩! (第3図)という手が発見されました。

【第3図は△9四歩まで】

「位を取ったら位の確保」という格言を無視した以前では考えられないような一手です。第3図から、▲4六歩△同歩▲同角には△7三桂▲6四角△同銀▲7一角△7二飛▲2六角成に△4七歩(第4図)で後手十分です。

【第4図は△4七歩まで】

第4図から▲4七同飛は△3八角と打たれますし、▲1八飛と逃げても△7五歩▲同歩△8五桂▲8六銀△7五銀と攻め込まれて先手は2六に馬を作ったものの、働きはよくなく、これは後手十分の形勢です。渡辺ー郷田戦では第3図から▲4六歩△同歩に▲9六歩! と4筋を突き捨ててから端歩を受ける、というひねった順を先手が繰り出し、△4四銀左▲4六角△7三桂▲6八角と進みました。

また、第2図から、▲3七銀△5三銀に▲4六歩△同歩▲同角とすぐに4筋から反発する順も有力と言われていました。以下、△4六同角▲同銀△4七角なら▲3七銀と引き、△6九角成▲6八金引△5九馬▲6七角で次に▲4八銀と馬を殺す手があり先手十分でした。しかし、▲3七銀のとき、△5五歩▲6八金寄△4四銀右▲7八角△5二飛▲5七金上△5六角成▲同金直△同歩▲同金△7五歩(第5図)と進んだのが、平成25年6月19日、第85期棋聖戦1次予選、▲藤森哲也四段ー△塚田泰明九段戦(段位は当時)の師弟対決です。

【第5図は△7五歩まで】

第5図は後手は角金交換の駒損ですが、先手陣はバラバラで3七の銀も働いておらず、後手十分な局面です。以下は藤森五段が入玉含みで粘りましたが、師匠の塚田九段が攻め倒しました。このように△4五歩と突く手が見直され、そもそも▲3七桂と跳ねる形が作れない、というのが最近なくなった第一の理由です。もう一つなくなった原因があるのですが、そちらは次回のコラムで見ていきましょう。

矢倉の崩し方

一瀬浩司

ライター一瀬浩司

元奨励会三段の将棋ライター。ライター業のほか、毎月1回の加瀬教室や個人指導など、指導将棋も行なっている。主なアマチュア戦の棋歴としては、第34期朝日アマチュア将棋名人戦全国大会優勝、第63回都名人戦優勝などがある。

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阿部光瑠

監修阿部光瑠六段

棋士・六段
1994年生まれ、青森県弘前市出身。2011年4月に四段。2013年に第2回電王戦でコンピュータソフト・習甦(しゅうそ)と対局し、快勝。 2014年の第45期新人王戦で優勝。居飛車、振り飛車ともに指すオールラウンドプレイヤー。
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