将棋地口・第9笑 『辛抱する木に花が咲く』

将棋地口・第9笑 『辛抱する木に花が咲く』

ライター: 谷木世虫  更新: 2018年07月10日

今しがた、仕事帰りの常連さんが立ち寄ってくれました。得意先と一杯、飲んでの帰りだそうです。

当クラブは禁煙・禁酒・禁賭ですから、お酒を飲んでの入場は"固くお断りいたします"となっていますが、その常連さんはいつもマナーが良く、また、日本酒が好きで、しかも強く、まったく酔ってはいないのです。もちろん、酒臭さもありません。本人は委細承知で立ち寄っており、私が問題なく入店を許可することを知ってのこと。

実は、私もお酒は好きで、その常連さんとは時々、酒談義をするのです。今日はどんなお酒を飲んだのか、ちょっと聞いてみることにしました。

夕方早めの時間から飲みに行き、ゆっくりしたとのことですが、その店で印象に残ったお酒は〈霧筑波・吟醸酒〉というお酒だったそうです。特に特徴のあるお酒ではないものの、落ち着いた味わいで、肴のイサキの洗いと相性がよく、二つがなんともいえないハーモニーを奏で、至福の時だったとのこと。ちょっとオーバーに言えば、人間、生きていればいつか良いことがあるもの、と感じたそうです。それを聞き、私はすぐにでも店を閉め、その飲み屋に飛んで行きたい気持ちになったのは言うまでもありません。

常連さんの酒席はその後も楽しいものだったようで、「これならアマ1級の自分でも、今晩は勝てるかもしれない」と思ったのが、当クラブに寄った理由だそうです。ならばと、私はなるべくラクな人をと思い、手合いを付けたのですが......世の中そうそう甘くはありませんでした。

1局目はアマ二段氏に軽く角(落ち)でヒネられ、2局目はアマ三段氏に飛車(落ち)で粉々にされ、ギャ~!! トルズにされてしまったのです。さすがにそうなると彼の元気はしぼんでしまい、私はどこかに後ろめたさを感じつつ、慰めの言葉とともに、しばらく休憩を促しました。

「今日は調子が悪い子チャンかな?」

そんな時、常連さんへ優しい言葉を掛けていったのは、オオマサの兄(あに)さんでした。彼は大畠政雄というのですが、常連客はそれを縮めオオマサと呼んでいます。棋力はアマ三段ですが、アマ四段陣が一目を置くアマ三段。面倒みがよく、どこか剽軽(ひょうきん)で愛嬌のあるところが皆から慕われています。

「まったく見えてないンですよ。もっとも、いつものことですけど......」

「まっ、そう言いなさんナ。俺なんかそれが日常ヨ。見てよ、この将棋。もう、どうにもこうにもブルドッグっていうもんだわサ」

オオマサの兄さんの将棋は、私が見ても少し悪い気がしました。しかし、局面が進み、差が詰まったように感じたとき、兄さんは、「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」と言い、さらに教訓めいたひと言を発しながら指したのです。

「辛抱する木に花が咲く、ってネ!」

図の局面で兄さんは▲6八銀と指したのですが、その言葉はなんとも普段の兄さんらしからぬマジメなお言葉で、相手のアマ四段氏もそれをおかしく感じたのか、

「おや、誠実なお言葉もご存じで」

と、チャチャを入れていきました。

しかし、私には"辛抱する木"の「木」の字が、連敗した常連さんへの気遣いの「気」に思え、兄さんの思い遣りがとても嬉しく感じられたのです。

男だネェ~! オオマサの兄~い!!

【図は△6五同金まで】

*図では▲4三歩成と攻め合いを目指す手もありそうですが、それは以下△8五桂が厳しく、▲7八金引△6六桂(参考図1)と強襲され、先手陣はひとたまりもありません(先手陣は金銀3枚で守られており、堅いと思いがちですが、△8五桂が入ると急に弱体化するのです)。

【参考図1は△6六桂まで】

そこで、図では▲6八銀と、オオマサの兄さんが指した補強の手が正解となります。▲6八銀は竜取りの先手でもあり、△3九竜に▲5九香と、またも馬取りの先手を取って参考図2。

【参考図2は▲5九香まで】

この一連の"3手の読み"で、先手陣は見違えるほど強固な陣になりました。

こうしてバリケードを築いたことで、ゆっくりした攻めも間に合うようになるのです。

参考図2からは、△4五馬▲6六歩△5五金▲同香△同馬右に、そこで▲4三歩成を実現させて参考図3。これが「辛抱する木に花が咲いた」という局面です。

【参考図3は▲4三歩成まで】

参考図3からは、△1八飛▲4二成銀△7二玉▲5二歩成△同歩▲同成銀△6一歩▲5三と△6八飛成▲6二金と進み、オオマサの兄さんが勝ちました(局面図省略)。

*ついでの話。

図で▲4三歩成とすると、△8五桂が厳しい手と言いましたが、この△8五桂、実は"詰めろ"になっているのです。

手順は、△8九馬▲同金△同竜▲同玉△7七桂不成▲同銀△7九金▲同玉△6七桂以下、全33手詰み。興味のある方は盤に並べてください。

将棋地口

谷木世虫

ライター谷木世虫

東東京の下町、粋な向島の出身。大昔ミュージシャン、現フリーランス・ライター。棋力は低級ながら、好きが高じて道場通いが始まる。当初、道場は敷居が高く、入りにくい所だったが、勇気を出して入ると、そこは人間味が横溢した場所だった。前回は、将棋道場で聞かれる数々の「地口」をシリーズで紹介したが、今回は「川柳」がテーマ。これも地口同様、ユーモアと機知に富み、文化として残したいものとの思いで、このコンテツの執筆になった。

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前田祐司

監修前田祐司九段

1954年3月2日生まれ。熊本県出身。アマ時代から活躍し、1970年、71年と2年連続でアマ名人戦熊本県代表として出場。1972年に4級で奨励会入会。1974年9月に四段となり、2000年9月に八段となる。
早見え、早指しの天才肌の将棋で第36回NHK杯では、谷川棋王、中原名人を撃破(※肩書きは当時)。
決勝戦で森けい二九段を千日手の末、勝利し棋戦初優勝を飾った。2014年6月に現役を引退した。
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