将棋地口・第8笑『嫁に行った晩』

将棋地口・第8笑『嫁に行った晩』

ライター: 谷木世虫  更新: 2018年06月25日

ちょっと買い物へと駅の方へ行くと、今日は礼服に白いネクタイをした人を多く見掛けました。ジューンブライド。6月の花嫁は幸せになると言われていますので、今月はかなりのカップルが誕生しているようです。羨ましいなと思う反面、苦労を背負いこむようで、半分、ご同情申し上げる次第です、とも思ってしまうのですが、それは私の性根がネジ曲がっている証拠。イカン、イカン、これではお客さんも来なくなるぞ、もっと明るく、陽気に前向きにと、反省して帰って来ることになりました。

それにしてもやっぱり結婚式というのは良いものです。ここしばらく黒いネクタイばかりとなっている私ですので、なおさらそう思うわけで、将棋クラブに戻ったときは、素直に新婚カップルの船出を喜ぶ気持ちになっていました。立ち直りが早いというか、何も考えていないというか。所詮、私はいい加減なのでしょうネ。

「ヨォ、席主! 世界最強の級位者! 今日も元気で店を開けているようだナ?」

なんとも"ご挨拶"なことですが、憎まれ口を叩きながらやって来たのは、謙ちゃんと呼ばれるまだ若いアマ二段の人でした。まったくどこをどう突っ付けばそういう言葉が飛び出すのか分かりませんが、鳶職という仕事柄、威勢と気っ風が良く、毎度のことなのです。しかし、今日はいつも以上に上機嫌で、笑み満面なのでした。きっと、彼女でもできたのかもしれません。私は早速、謙ちゃんにアマ二段の人との手合いを付けました。

鼻唄まじりに対局が始まり、しばらくすると謙ちゃんに有利、いや、優勢という局面が出来(しゅったい)。駒得はもちろん、玉も堅く、攻めも筋に入っていて、どう転んでも負けはないという状況。

謙ちゃんはそろそろアマ三段に昇段と思っているほど強くなっており、相手のアマ二段氏はここのところ彼に勝てず、今日もまた、ウンウンと唸っています。

「まったく、最近は必ずこうなるね~。謙ちゃんはいつの間にこんなに強くなったのかねぇ~。う~ん、弱ったな~」

アマ二段氏は誰に言うとなく、愚痴めいた言葉を発していましたが、数手後、諦めともどもヤケクソといった感じで最後の反撃に出ました。それが図の局面(持ち駒の金を打った局面)で、ここでアマ二段氏から古典的な洒落が聞かれたのです。

「え~い、嫁に行った晩だ!!」

私は久しぶりにこの洒落を聞きました。これは、開き直った状態のこと言っているもので、"好きにしろ~い!!"という意味。なかなかウィットに富んだもので、昔の嫁入り前の楚々とした女性を思い浮かべる、味のある洒落なのです。ただ、謙ちゃんはまだ30歳前。すぐにはこの意味が分からなかったようです。

「嫁に行った晩......? ウン? あっ、そうか!」

もともと勘のいい彼は、少し間を置いてその意味を理解しました。同時に、アマ二段氏の開き直りを嘲笑うかのように攻めを受け流し、勝利を確信した顔になったのです。続いて、改良型の洒落まで披露してくれました。

「最近は、"婿にいった晩"と言うかもしれないナァ~」

【図は△6七金まで】

*図の先手の狙いは、▲6四馬△同銀▲4二とです。それが来る前にと後手は△6七金(図)と金を打って攻めましたが、以下、▲6四馬△7八金▲同玉△6八と寄▲8八玉とかわされ、△6四銀▲4二と(参考図1)と進んで、先手玉は詰まず、逆に後手は受けても一手々々になってしまいました。

【参考図1は▲4二とまで】

図の△6七金では△3三銀(参考図2)の辛抱がまだしもでしたが、それも以下、▲4一と△2四歩▲6四馬△同銀▲3一角△2三玉▲6四角成(参考図3)で、後手は先手の攻めを解くことはできません。参考図3は、次に▲3二竜以下の詰めろになっています。

【参考図2は△3三銀まで】

【参考図3は▲6四角成まで】

将棋地口

谷木世虫

ライター谷木世虫

東東京の下町、粋な向島の出身。大昔ミュージシャン、現フリーランス・ライター。棋力は低級ながら、好きが高じて道場通いが始まる。当初、道場は敷居が高く、入りにくい所だったが、勇気を出して入ると、そこは人間味が横溢した場所だった。前回は、将棋道場で聞かれる数々の「地口」をシリーズで紹介したが、今回は「川柳」がテーマ。これも地口同様、ユーモアと機知に富み、文化として残したいものとの思いで、このコンテツの執筆になった。

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前田祐司

監修前田祐司九段

1954年3月2日生まれ。熊本県出身。アマ時代から活躍し、1970年、71年と2年連続でアマ名人戦熊本県代表として出場。1972年に4級で奨励会入会。1974年9月に四段となり、2000年9月に八段となる。
早見え、早指しの天才肌の将棋で第36回NHK杯では、谷川棋王、中原名人を撃破(※肩書きは当時)。
決勝戦で森けい二九段を千日手の末、勝利し棋戦初優勝を飾った。2014年6月に現役を引退した。

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