将棋地口・第7笑 『大岡越前タダ捨ての守』

将棋地口・第7笑 『大岡越前タダ捨ての守』

ライター: 谷木世虫  更新: 2018年06月09日

着物が袷(あわせ)から一重(ひとえ)に変わる季節を迎えています。もっとも最近は、着物を着る人が少なく、更衣(ころもがえ)といってもその趣や情緒はほとんど感じられなくなってしまいました。どことなく寂しい思いがするのですが、そういう私も普段、仕事以外では当然、洋服で過ごしている口。柄にもなく、ただ感傷だけを口走っているわけです。でも、できれば毎日、着物で生活したいナと思っている方でして、それだけに感傷も深いものとなっているのです。

今しがた、"仕事以外では"と言いましたが、私が席主をしている将棋クラブにいるときは作務衣(さむえ)を着ていて、自己満足ながら多少、私のオセンチな気持ちを和(なご)ませています。

今日のそれは、いい風合にかすれたねずみ色。多少、年季が入ったものとなっています。

「いつも思うのですが、席主がそうした格好でいてくれると、落ち着いた雰囲気が生まれますね」

「えっ、そうですか? いや~そんなつもりで着ているんじゃないですけどネ。ただ動きやすいだけで......」

「ご本人はそうかもしれませんが、将棋はやっぱり和のものですから、客の方から見ると、そうした格好が好ましく映るんですよ」

お客さんから、まったく思いもしなかったお世辞を言われましたが、実際、お客さん同士の間でもそう感じている人が多いようなのです。ちなみに当クラブでは、駒こそプラ駒ですが、盤は本榧の三寸、駒台も本榧の仕立てとなっています。ですから、クラブというより道場といったイメージがして、お客さんもそれを楽しんでいる雰囲気があるのです。

今日も、エイッとかヤッ~といった時代劇の立ち回りのような声が聞こえています。

「どうだ、これで。まいったなら、そう言うのが武士だ。早く言え!」

相手に無理強いしていたのは、アマ三段のソド~さんでした。今、図の局面を迎え、捨て駒の技を放ったところ。ソド~さん得意の場面で、大見得を切る、という図です。

相手は予期しなかったのか、しばし盤面を見つめていましたが、ほどなく諦めを伴ったニュアンスでひと言、駄洒落をいったのです。

「そ~か、大岡越前タダ捨ての守か」

この地口(じぐち)はそんなに古いものではなく、また、広まっているものでもないので、おそらく当クラブだけのものかもしれません。江戸時代の名奉行の名にかけたものですが、彼の正式名は大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみただすけ)ですから、この地口は"大岡越前守タダ捨て"というのが正しいかもしれません。しかし、それは瑣末なこと。ソド~さんはご機嫌な調子で言葉を重ねていきました。

「そう! タダ捨ての守であるゾ。そこのけそこのけお馬が通るだ。皆の者、控えおろ~!」

ソド~さんは、なんとも人情味のないお裁きの大岡様でした。

【図1は▲2四金まで】

*図から、△2四同玉▲2五飛△1三玉▲2三飛成△同玉▲2一竜△1三玉▲2二竜(参考図1)まで、後手玉は詰み。

【参考図1は▲2二竜まで】

なお、△2四同玉の手で△2四同歩は、▲2三飛△同玉▲2一竜△1三玉▲2二竜(参考図2)までの詰みです。

【参考図2は▲2二竜まで】

将棋地口

谷木世虫

ライター谷木世虫

東東京の下町、粋な向島の出身。大昔ミュージシャン、現フリーランス・ライター。棋力は低級ながら、好きが高じて道場通いが始まる。当初、道場は敷居が高く、入りにくい所だったが、勇気を出して入ると、そこは人間味が横溢した場所だった。前回は、将棋道場で聞かれる数々の「地口」をシリーズで紹介したが、今回は「川柳」がテーマ。これも地口同様、ユーモアと機知に富み、文化として残したいものとの思いで、このコンテツの執筆になった。

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前田祐司

監修前田祐司九段

1954年3月2日生まれ。熊本県出身。アマ時代から活躍し、1970年、71年と2年連続でアマ名人戦熊本県代表として出場。1972年に4級で奨励会入会。1974年9月に四段となり、2000年9月に八段となる。
早見え、早指しの天才肌の将棋で第36回NHK杯では、谷川棋王、中原名人を撃破(※肩書きは当時)。
決勝戦で森けい二九段を千日手の末、勝利し棋戦初優勝を飾った。2014年6月に現役を引退した。

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