将棋地口・第5笑 『美空しばり』

将棋地口・第5笑 『美空しばり』

ライター: 谷木世虫  更新: 2018年05月10日

人の気持ちというのは、その日の天気や陽気に左右されるもののようで、雨だとなんとなく気も沈み、暖かくなるとウキウキしてくるものです。前回は雪の日の話をお届けしましたが、あれから日数が経ち、世間はゴールデンウイークも終わって平穏な季節を迎えています。

今日は花金。しかも時刻は午後7時。

いつになく、当将棋クラブは賑わっており、華やいだ雰囲気となっていて、あちらこちらで楽しそうな声が上がっています。皆、新緑の季節を待ち望んでいたのでしょう。声にも張りが感じられます。

そんなムードが私を柄にもなく感傷的にさせたのか、普段はどちらかといえばうるさいのは嫌いなのですが、珍しく、BGMを流すことにしたのです。まずは、ナット・キング・コールから。曲はノリの良い「ルート66」。'56 年の録音で、コールそのものがピアノを弾いています。

ボリュームはもちろん控えめですが、軽やかなメロディーが流れ始めました。と、

「どうしたんですか、また」

対局待ちしていた常連さんが話し掛けてきました。たぶん、奇異に感じたのでしょう。

「いや、たまにはネ。風も軽くなりましたから」

私はフッと、"にわか詩人"のような答えをしましたが、コールのピアノとヴォーカルに加え、ジョン・コリンズのギター、リー・ヤングのドラムが快く室内に流れると、一人、悦に入っていたのです。将棋クラブというより、品の良いバーの雰囲気。

しかし、さすがにそう思えたのはほんの一瞬。「えっ、詰みなの!?」とか「いっけねぇ、王手飛車を食っちゃった」といった声を聞くと、すぐ現実に戻されてしまったのです。

たまにはジャズを聴きながら将棋を指すのもいいナ、との思いは泡沫と消えましたが、お客さんの元気な声は何よりの栄養。私は皆がワイワイ言っている中で指している、勝っちゃんと呼ばれるお客さんの将棋を覗くことにしました。

彼は筋に明るく、品の良い将棋を指す人で、勤務先では将棋同好会に入り、ときどき女流棋士を招いて指導を受けてもいるアマ四段の実力者。下の面倒見もよい、優しい人です。

「どうですか、この局面?」

勝っちゃんは私が近づくとニヤッと笑顔を向けてきました。普段、勝っちゃんは口数が少なく、どちらかといえば渋い格好良さがあるのですが、今晩は同じ強豪のアマ四段を相手に戦況も良く、渋さが少し軽くなっているように感じられました。

そして、数手進んで図の局面を迎えたとき、勝っちゃんから、らしからぬ冗談が聞かれたのです。

「それじゃ~、ここで美空しばりにしちゃおうかナァ~」

言われた相手のアマ四段氏は、勝っちゃんが冗談を言うこと自体に驚いたのか、意味が分からないようで、しばしポカンとしていました。が、図で▲3六桂と跳ねられ、すぐに納得したのです。

「そうか、美空縛り、か......。どこかに逃げ道のルート66はないかナァ~」

【図は△1三玉まで】

*「寄せ」のコツは、むやみに王手をして、玉を追い掛け回さないことです。図の場合は、まず▲3六桂と跳ね、後手玉の2四の脱出口をふさぐのが寄せの第一弾になります。

後手は△2四歩と受けるよりありませんが、そこで▲3二銀(参考図1)と包囲網を狭めていきます。

【参考図1は▲3二銀まで】

このような▲3六桂から▲3二銀の手法を、将棋用語で「しばり」と言い、"敵玉が逃げて行きそうな所へあらかじめ駒を利かし、逃げられないようにする"という技になります。

▲3二銀(参考図1)以下、△1五歩なら▲1四歩と叩くのが手筋の一打となり、△同玉と呼び込んでから▲1五香と走り、△同玉に▲1六歩(参考図2)が決め手です。

【参考図2は▲1六歩まで】

▲1六歩を△同玉は▲2六金で詰みますので、後手は△2五玉と逃げますが、▲2六金△1四玉▲1五金△1三玉▲2四金△1二玉▲4三銀不成(参考図3)と金を取って先手の勝ちになります。後手は、受けても一手々々の寄りです。

【参考図3は▲4三銀不成まで】

将棋地口

谷木世虫

ライター谷木世虫

東東京の下町、粋な向島の出身。大昔ミュージシャン、現フリーランス・ライター。棋力は低級ながら、好きが高じて道場通いが始まる。当初、道場は敷居が高く、入りにくい所だったが、勇気を出して入ると、そこは人間味が横溢した場所だった。前回は、将棋道場で聞かれる数々の「地口」をシリーズで紹介したが、今回は「川柳」がテーマ。これも地口同様、ユーモアと機知に富み、文化として残したいものとの思いで、このコンテツの執筆になった。

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前田祐司

監修前田祐司九段

1954年3月2日生まれ。熊本県出身。アマ時代から活躍し、1970年、71年と2年連続でアマ名人戦熊本県代表として出場。1972年に4級で奨励会入会。1974年9月に四段となり、2000年9月に八段となる。
早見え、早指しの天才肌の将棋で第36回NHK杯では、谷川棋王、中原名人を撃破(※肩書きは当時)。
決勝戦で森けい二九段を千日手の末、勝利し棋戦初優勝を飾った。2014年6月に現役を引退した。

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