将棋コラム

伊藤果八段が語る、詰将棋の魅力。3日考えても解けなかった7手詰とは?

伊藤果八段が語る、詰将棋の魅力。3日考えても解けなかった7手詰とは?

更新: 2017年11月09日

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今回から詰将棋の魅力について、何回かに分けてお話ししましょう、よろしくお付き合いください。と、その前に......。先日、杉本昌隆七段に、とある場所で会いました。話題は当然、弟子の藤井聡太くんの詰将棋に関わることです。

「解く方はいいですが、四段になるまで創作は禁止としていました。しかし、もう(四段に)なってしまったので、解禁してますが...(笑)」

「そうですか、解禁!を。う~ん、それはとても危険です。創作は楽しすぎる魔力ですから...即刻、また禁止令を出すべきです。将棋に影響しますよ」

「魔力ですか? 禁止令をまた出すといっても、いつまでがいいでしょう?」

藤井くんの特別記念扇子にある詰将棋は(写真)、小学5年生の時に創作したものだといいます。内容はすでに一級品で、合駒あり、伏線あり、中合ありと見せ場が詰まった中編で、迸(ほとばし)る才能が窺えます。このまま進めばとてつもない詰将棋作家が誕生すると思いますが、だからこそ、将棋界のためにストップをかけるよりないのです。

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撮影:伊藤果

「禁止令は、それは何かタイトルを獲るまででしょう」

「なるほど...。ではタイトルを獲ったら解禁でいいですか?」

「いやいや。タイトルを獲ったら、全部のタイトルを獲るまではダメ...と伸ばせばいいんですよ(笑)」

なんて、師匠には伝えましたが......本音はもっと藤井作品を数多く見てみたいと思う一人で、どうにも複雑な胸中でした。

私は、15歳から詰将棋を創り出して、瞬く間に半世紀が過ぎました。正直、時が経つのが早過ぎて面食らっていますが......。詰将棋は王手の連続で、玉を詰ますだけのものです。玉が最後は必ず詰むという必然の中に、創作には無限の世界を探し求める悦びがあります。光は盤上の中に潜んでいて、その光を僅かでも見た者はもう後戻りができない、魔力に取り憑かれてしまうのです。

解く方は11歳ぐらいから始めていて、13歳に奨励会6級に入会したのをきっかけに、いまでも続く詰将棋専門誌「詰将棋パラダイス」と出会いました。 そこには超短篇から、長篇までさまざまな詰将棋が掲載されていて、紛れもなく気持ちが昂る自分がいました。 17歳で三段時、その事件?!は起こったのです。この頃、100手超えの詰将棋であれ、どんなものでも解いていたという、自信がありました。ところが......。安達康二氏作(詰パラ:1967.7月号)の7手詰が、あり得ないことか3日も考えて解けなかったのです。

【安達康二氏作】


悔しさなど微塵もなく不信だけが漂い、思い余って編集部に直接電話しました。

「安達作ですけれど、不詰ですね。もしくは、誤植ですか?」

誇らしげに尋ねたその返答は落ち着いていて、耳を疑うものでした......。

「不詰でも、誤植でもなく、ちゃんと、詰みますよ!」

遥か50年前の遠い過去の、実に愚かなほろ苦き思い出です。

解くだけでは物足りない、そうだ、詰将棋を創ってみよう......衝動に駆られて、愛用のマグネット盤に駒をパラパラと配置したのは中学3年生の時でした。いざ創るといっても、なんの手引書もなく、何をどうしていいやらただただ焦るばかりで、はや10時間が経過していました。
悪戦苦闘の中、ようやく1局辿り着いたものが、これです。)

【伊藤果 処女作】


冷静に見て、レベルの低さに呆れてしまい、悔しさから創作熱が湧きだし、ここからスタートしました。

伊藤果八段

ライター伊藤果八段

1950年京都市に生まれ、1963年奨励会6級で入門。1972年に東京に移り、高柳敏夫名誉九段門下となる。1975年に四段。1981年の第12期新人王戦で準優勝。1982年の第31回NHK杯で準優勝。竜王戦は、第9、10期と1組に在籍。2011年に現役引退。現役時代から詰将棋創作で定評があり、塚田賞も2度受賞している。風車戦法と呼ばれる独特の将棋を指し、若い頃から身嗜みがダンディであることでも知られてもいた。

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