ありのままの自分をそのまま表現する強さとは?【将棋と教育】

ありのままの自分をそのまま表現する強さとは?【将棋と教育】

ライター:   更新: 2017年10月23日

将棋で駒を動かす動作は、「打つ」とは言わず、「指す」と言います。そこからも分かるように、将棋では駒をスッと盤上に置くものです。強くなればなるほど、その指し姿も美しいと感じます。実は、指し方にも人の個性、心理状態が見え隠れしているのです。

盤上の手つきに見え隠れする心理状態

アマチュアの中にはときおり、「パチンッ!」と必要以上に大きな音を立てて、盤に打ち付けるように置く人がいます。威勢よく音を立てた方が強そうに見えると思っているのでしょうか。まるで相手を威嚇しているようにも感じられるほど。そうすると相手も負けじと「パチンッ!」と返していたりします。まさに売り言葉に買い言葉のようなものです。

私の感覚では、威勢のいい手つきで将棋を指す人は、たいてい負けています。「俺は強いぞ。勝っているぞ」と強がってみたところで、実はそれは表面だけのこと。あの手つきは、自分の弱さを隠すために、虚勢を張っているだけのように思います。

それとは逆に、本当に強い人は、初手から終局まで手つきが変わりません。「30秒将棋」といって、一手30秒未満で指すルールで対局が行われることがあるのですが、一流の棋士はギリギリの28秒とか29秒のところでもスッと指すのです。観戦している方は、時間切れになるのではないかとハラハラしてしまうのに、慌てずにスッと指す。素晴らしい芸術品を見るような思いです。

本当に強い人は、わざと強い手つきで指すようなことはしません。自分の弱さを隠すために、自分の強さをアピールすることなどけっしてせず、むしろ相手を気づかう思いやりの気持ちを持っています。

目の前に相手がいる将棋では、自分の思い通りに行くことは少なく、多くの対局では我慢を強いられます。自分の読みの甘さに情けない思いをしても、もうダメかと諦めそうになっても、最後の最後まで勝つ可能性を探し続けます。勝負を捨てるわけにはいきません。

しかし、負けが決まったら、今度は悔しい気持ちをたたんで、潔く「負けました」と宣言しなければなりません。我慢したり悔しい気持ちを味わったりを何度も経験し、そのたびに自分の気持ちを何回も何回も折りたたむ。それが積み重なって、精神面が成長していくのでしょう。スッと駒を置く所作が身に付いてきます。

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羽生棋聖の手つきの震え

手つきというと、羽生棋聖の手の震えがよく取り沙汰されます。たった一手でも間違えたら形勢が逆転してしまう熱戦の最終盤、ちょっと勝利の光が見えてきた瞬間、羽生棋聖の手が激しく震えることがあります。

その様子がNHK総合テレビジョン『プロフェッショナル 仕事の流儀/直感は経験で磨く』(2006年7月13日放送)でも紹介されました。放送されたのは、第24回朝日オープン選手権で藤井猛九段を破ったときの対局でした。それ以外の対局でも、一手のミスも許されないような終盤において、たびたび羽生棋聖の手の震えを目にします。

駒をまともに持てなくなったり、隣の駒を弾き飛ばしてしまったりするほど激しく震える手。あれは、いったいどういう心理状態から来るのでしょうか。

専門家の方たちは「勝利が見えたから震えているのだ」とか、「勝利を確信した証」と説明されています。しかし私はそうは思いません。あの手の震えは「羽生棋聖の将棋に対する真摯さの表れ」ではないかと思うのです。

プロ棋士は結果がすべての厳しい世界にいますから、対局では当然、勝利を目指して戦います。ただ、勝ちはすぐには見出せません。勝ちを模索しながらも、それがなかなか見えないところで指しています。言ってみれば霧の中を進んでいるようなものです。ですから、その勝利の光が見えた瞬間は、平常心ではいられないはずです。勝利を確信したことが手の震えとなって表れたとしても不思議ではありません。

しかし羽生棋聖の手の震えは、そうした次元のものではなく、将棋という盤上芸術への畏れがそうさせているように思えてなりません。普通なら怖いと思う気持ちや弱さは隠そうと努めます。勝利が見えたところで震えるというのなら、むしろ震えを隠して平静を装って指そうとするものです。ところが、羽生棋聖は心の葛藤を物語る震えを隠すことなく、堂々と指しています。あの手の震えは、まわりの眼を気にせず、将棋の世界に没入してその時の自分をそのまま正直に表に出しているということなのではないでしょうか。

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第88期棋聖戦 第1局より

自然体で今を最善に生きようとする姿勢

勝利を意識したから震えるのではなく、そういうことを意識すらしない世界にいるから震えを隠さない。この自然体で生きる姿勢、今を最善で生きる姿勢こそ、羽生棋聖のすばらしさであり、同時に強さの秘密なのではないか。私はひそかにそう考えています。 隠さない正直さ、素直にまっすぐに生きる、まさに羽生棋聖が揮毫する「玲瓏」に通じます。まわりの眼を気にせず、将棋の世界に没入してその時の自分をそのまま正直に表に出しているということなのではないでしょうか。

自然体の、ありのままの自分をそのまま表現することの、強さ、美しさ。
そんなことを羽生棋聖の対局姿勢から教えられるような気がします。

子供たちは将棋から何を学ぶのか

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