タイトル戦から感じた、相手を打ち負かす以上に大切なこととは?【将棋と教育】

タイトル戦から感じた、相手を打ち負かす以上に大切なこととは?【将棋と教育】

ライター: 安次嶺隆幸  更新: 2017年10月17日

以前、暁星小学校の将棋クラブに羽生棋聖が来てくださったことがありました。放課後、羽生棋聖がニコニコと校門に立っていたのです。憧れの羽生棋聖が「遊びに来ました」といきなり現れたので、子供たちはびっくり!羽生棋聖を取り囲み、もう大騒ぎです。羽生棋聖の眼は、子供たちと同じようにキラキラ輝いていたのを覚えています。

羽生棋聖の真摯な姿勢が子供たちに将棋を伝える

訪問いただいたのは2005年11月17日、将棋の日の出来事です。

その時撮影した写真は大事な記念の品として、今でも私の手元にあります。ヒマワリのような明るい笑いがはじける顔、顔、顔...当時、羽生棋聖は35歳のはずですが、写真をパッと見ただけでは誰が羽生棋聖なのか分からないほど、すっかり子供たちに同化しています。

そんな羽生棋聖でしたが、いざ指導対局になると、怖いほど真剣な表情に変わりました。それまではしゃいでいた子供たちも自然と緊張し、真剣な面持ちに。羽生棋聖の真摯な姿勢が子供たちを変えたのです。相手が子供であろうとも将棋盤に向かう眼はあの校門の眼とは違ったものでした。子供たちも無意識にその空気を感じ一瞬で教室は、静寂な対局室と変わったのです。

たったそれだけで子供たちに将棋の何たるかを教えてくださった羽生棋聖。やはりプロ棋士の姿に直に触れることは、大きな力になると実感したものです。

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第58期王位戦 第3局より

王座戦の観戦から感じ取ったプロ棋士の眼

羽生棋聖の来訪の日から10ヶ月が経った2006年9月16日、私は第54期王座戦第2局を観戦する機会を得ました。羽生王座に佐藤康光棋聖(当時)が挑むシリーズでした。

実はこの観戦にあたって、私は「3つの視点」で観ようと思っていました。「眼」「姿勢」「自分の手番でないときのしぐさ」の3つです。対局の場でこれらの変化があったときこそ、勝負のアヤがあると思ったからです。

しかし・・・

対局室は、凛とした静けさが支配する場で二人は苦悩し長考を重ね、じっくりした時間が流れていきます。

私は懐からこっそりとあの写真を出してみました。校門の前で、子供たちと一緒になって無邪気に笑う「あの眼」はどう変化しているかを観るためです。ゆっくりと写真から視線を二人の方に向けてみました。しかし、意外なことに私の想像していたものはそこにはありませんでした。

ギリギリの攻防が繰り広げられている盤上とはうらはらに、羽生王座と佐藤棋聖の二人の眼は明るく澄みわたり、あの校門での子供たち同様の目の輝きを放っていたのです。

私は自分の不明を恥じ、反省をしました。常日頃子供たちには、「将棋とは自分との対話だ」と説いていても、実際に自分が対局をするときは、相手のことを意識し、ときには相手を打ち負かすことだけの読みをしていたりします。この観戦で、羽生王座と佐藤棋聖の澄んだ目を拝見して、盤上の真理を探求する姿勢を忘れている自分を思い知らされた気がしました。

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第62期王将戦 第1局より

より高みを目指し、最善手を探求する棋士たち

そこには棋譜だけでは感じ取ることのできない世界がありました。対局を通してお互いが将棋の素晴らしさを語り合い、より高めあう姿勢が存在していました。「将棋とは相手との戦いではなく、常に盤上の芸術作品なのだ」と強く感じさせられた瞬間でした。

「自分の手番ではないときはその人の本音が表れるはず」という私の仮説は、あっけなく崩れ去りました。超一流の世界には、つまらない理屈など何の意味も為しませんでした。相手の手番を待つことさえ、最善手をともに探る"楽しめるとき"だったのです。

この日、「負けました」という言葉を口にしたのは佐藤棋聖でした。さわやかに、かつしっかりと佐藤棋聖は負けを宣言し、投了を告げました。終局、午後9時55分。そして二人は「あの眼の輝き」をたたえたまま感想戦に入っていきました。より高みを目指して最善の指し手を探求するために...。

日々試行錯誤し、最善を求める姿勢を

私は25年以上教壇に立ち、子供たちに囲まれて日々の生活をしています。実際の教育現場での仕事は、まさに真剣勝負の場。子供たちを前に、自分がいかに教えるか、伝えるか、どうしたら子供たちの心に響く指導ができるか、格闘の日々が続きます。「教育には正解はない」と言うけれど、きっとよりよい指導法があるはずだと試行錯誤をしていると、ふと将棋の対局と何か共通したものがあるように感じます。

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余計なことに惑わされず、澄み切った眼で真理を追い求める。そんな姿勢で子供たちに接して、子供たちもまた最善の手を尽くせるよう、我々大人たちには使命が与えられているのではないでしょうか。

子供たちは将棋から何を学ぶのか

安次嶺隆幸

ライター安次嶺隆幸

東京福祉大学教育学部教育学科専任講師(元私立暁星小学校教諭)。公益社団法人日本将棋連盟学校教育アドバイザー。 2015年からJT将棋日本シリーズでの特別講演を全国で行う。中学1年生のとき、第1回中学生名人戦出場。その後、剣持松二九段の門下生として弟子入り。高校、大学と奨励会を3度受験。アマ五段位。 主な著書に「子どもが激変する 将棋メソッド」(明治図書)「将棋をやってる子供はなぜ「伸びしろ」が大きいのか? 」(講談社)「将棋に学ぶ」(東洋館出版)など。

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