双方の視点で最善手を模索するという行為の大切さ【将棋と教育】

双方の視点で最善手を模索するという行為の大切さ【将棋と教育】

ライター: 安次嶺隆幸  更新: 2017年09月20日

勝負の世界では、「絶対勝つぞ!」「相手に負けてたまるか!」「相手を打ち負かせ!」と、激しい闘争心とハングリー精神を持って挑まなければ勝てないと言われてきたように思います。

しかし、羽生二冠は「将棋に闘争心はいらない」という。羽生二冠から伺った言葉の中で、この言葉ほど衝撃を受けたものはありません。

「むしろ勝とうとする気持ちがマイナス」という羽生二冠の言葉

以前、羽生二冠に「将棋に闘争心はいらないのですか?」と聞いたことがあります。「当然必要ですよね?勝負ですものね」と言ったら、軽い口調で「いらないんですよ」と。私は思わず、「あの、ホントですか?」と確認してしまいましたが、「ええ、いりません。闘争心はかえって邪魔になることもあるのですよ」とおっしゃるのです。私にとって、この言葉は本当に衝撃的でした。

素人考えでは、闘争心がいらないというと、以前のコラムで述べたような、「負けたい自分」がすぐに出てきてしまうのではないかという気がします。もう逆転はなかなか難しいという不利な状況になったとき、闘争心がなければ、弱気になって、つらい、苦しい、いっそ早々と「負けました」と言って降参してしまいたい、という心境に陥ってしまうのではないかと思います。

羽生世代の前、升田、大山時代では、勝負には忍、闘争心、不動心、無心...などいかに相手に打ち勝つか、いかに自分の気持ちに打ち克つか...ということが将棋にも見え隠れしていたように感じます。どうしても、負けないためには、「相手に克つ気持ち」が必要だと考えていたのです。

ところが、羽生二冠は「将棋に闘争心はいらない。むしろ勝とうとする気持ちがマイナス」というのです。私は、新鮮な驚きをもって聞きました。

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(第58期王位戦 第3局より)

最善を尽くし、あとは相手にゆだねる心の余裕を

しかし考えてみれば、将棋は自分一人ではできません。目の前に座っている相手がいてくれるから対局が成立します。将棋とは、対局者が二人して、自分の力を出し切って最善手を模索し合う競技です。自分が一手を指したら、次の一手は相手にゆだねるしかないのです。

これは日常生活における人間関係でも同じかもしれません。たとえば仕事の場面で、営業マンが「絶対この話をまとめてみせる、相手に『うん』と言わせてみせる」と、一人で息巻いたところで、相手が思い通りの返事をしてくれるとは限りません。むしろ、強引に結果を求める姿勢に相手は辟易して、逆の結果になることもあります。

一方で、誠心誠意説明したあと、「では、あとのご判断はおまかせしますので、ゆっくりお考えください」と相手にゆだねてみると、相手も案外その気になってくれて、いい結果につながることがあるものです。

絶対勝とう、なんとしても商談をまとめよう、という気持ちが先行すると、その結果ばかりにこだわってしまい、広い視野で物事を見られなくなってしまいます。すると、相手が自分の思惑と違った反応をしたとき、対応を誤ってしまいます。その失敗をカバーする心の余裕もないから、ダメージも大きくなるという悪循環に陥ります。

しかし、最善を尽くして様々な手を考えたうえで、あとは相手にゆだねることができたなら、心にも余裕をもって柔軟に対応することが可能です。人間関係においては、そうした心の余裕や相手を受け入れる度量が必要なのです。

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勝つことではなく、双方の視点で最善手を模索する

こう書いてみると、一般の仕事のことなのか将棋のことなのか、わからなくなってしまうほど、確かに共通しています。羽生二冠がおっしゃったことは、こういうことだったのかもしれません。

「闘争心はいらない」とは、勝ちを意識しすぎたり、勝負に力んでしまったりすると、そのせいで肝心なことが見えなくなって自分の力を出せなくなることがある。闘争心がブレーキになってしまうということなのです。

そういえば、別の機会に羽生二冠のチェスの対戦を拝見したことがあります。普通ならチェス盤を挟んで対局者同士で向かい合って座るところを、羽生二冠はチェス盤の真ん中に陣取り、横からボードを眺めて検討を始めたのです。

それを見たとき、「ああ、羽生二冠は将棋もこうやって見ていたのだ」と、はたと気が付きました。相手に勝つことを目的にしているのではなく、双方の視点で最善手を模索しているというのでしょうか。それが羽生二冠にとっての将棋なのだと、思い至りました。

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(第58期王位戦 第3局より)

こだわりや闘争心を捨て、勝負に臨む

谷川浩司九段は著書の『集中力』(角川書店刊・角川oneテーマ21)で、「羽生さんはあらゆる戦法を指しこなせる棋士。オールラウンドプレイヤーで変幻自在のため、どう指してくるのかわからない。攻めも受けも強い。こだわりがまったくないのが特色」と記していらっしゃいました。谷川九段をしてこう言わしめる羽生二冠の強さは、まさにそのこだわりのなさ、闘争心のなさから生まれるのでしょう。

相手が勝ち気いっぱいで臨んでくれば、相手の気持ちや指し手は読みやすい。しかし、闘争心を捨てて何でもどうぞという態度で来られたら、棋士にとって、これほど恐ろしい相手はいないのではないでしょうか。

子供たちは将棋から何を学ぶのか

安次嶺隆幸

ライター安次嶺隆幸

東京福祉大学教育学部教育学科専任講師(元私立暁星小学校教諭)。公益社団法人日本将棋連盟学校教育アドバイザー。 2015年からJT将棋日本シリーズでの特別講演を全国で行う。中学1年生のとき、第1回中学生名人戦出場。その後、剣持松二九段の門下生として弟子入り。高校、大学と奨励会を3度受験。アマ五段位。 主な著書に「子どもが激変する 将棋メソッド」(明治図書)「将棋をやってる子供はなぜ「伸びしろ」が大きいのか? 」(講談社)「将棋に学ぶ」(東洋館出版)など。

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