羽生三冠「わからないからこそ読みより勘」その言葉の真意とは?

羽生三冠「わからないからこそ読みより勘」その言葉の真意とは?

ライター: 安次嶺隆幸  更新: 2017年08月27日

「勝負は対局前に既についている」とはあるプロ棋士の言葉。これはある意味、「対局までの過程がとても大切な時間なのだ」と言い換える事もできます。

将棋の対局ではどう指していいのか分からない局面が必ず出てきます。プロ棋士の皆さんは日々、地道な研究や"頭の筋トレ"を積み重ねて対局の場に臨んでいますが、それでも研究とは違った展開になるものです。そんな局面は、「指運」が働くと言われますが、本当に強い人はこの「指運」が悪手にならないのです。一体、何故なのでしょうか。

研究を重ねてもなお、分からない局面がやってくる

プロ棋士がいくら研究を重ねていても、必ず普段の研究とは違った展開になります。そんな局面になったときには、自分の力だけを頼りに進んで行くことになります。これまでの経験や知識によって築いてきた自分だけの羅針盤を見ながら行くのですが、たまに真っ暗闇になって右も左も分からない、どう指したらいいのか皆目検討もつかない、というときが現れます。

それまではパッとどこかに光が当たって手筋が見え、その中で最善を尽くそうと選んでこられた。ところが、それが全くの闇に包まれてしまう。そんなことが起こります。絶えず様々な局面を想定して備えているつもりでも、想定外の手を指されて、羅針盤が利かなくなってしまうことがあるのです。

実人生でも、思いもよらない事件が起こったり、事故に遭ってしまったり、どうしたらいいのだろうという事態に陥ってしまうことがあります。仕事においても、突然無理難題を押し付けられたり、自分の言動が誤解されてしまったり、対処に困るようなこともしばしばあります。そういうときに、焦ってパニックになってしまうのか、あるいは冷静に対処できるのか。緊急時にこそ、本当の力が試されるのです。

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分からない局面こそ勝負どころ。羽生三冠の選ぶ指し手とは・・・

将棋の場合も同様です。 どう指したら良いのか分からない真っ暗闇の中であっても、悪手を指して自滅することなく、平均的な指し手を選び続けられるかどうか、それが勝負の行方を左右します。

「そういうとき、具体的にはどのように指し手を選んでいるのですか?」と羽生三冠に伺ったことがあります。羽生三冠の答えは「できるだけ直接的な手を指さないように気をつけています」とのこと。

直接的な手というのは、おそらく、「ええい、いっちゃえ。王手!」というような手のことだと私は解釈しています。読み切れていないのに「えいやっ!」と詰ましにかかる手もそれと同じことでしょう。分からないときはそんな手は指さず、ここは我慢して一呼吸置くようにするということだと思います。

羽生三冠でも分からないときがあるというのは、凡人にはちょっとほっとさせられるような気がしますが、羽生三冠はこんな言い方もされています。「分からないからこそ勝負どころ。ぼくの場合、読みより勘で決めます。」 直接的な手は指さないといっても、そこでただ休んでいるわけではありません。姿勢はあくまで前向きで、しかも勝負どころの大切な局面として捉えているのです。

そして興味深いことに、そんなときに「指運」というものが出るらしいのです。それは羽生三冠に限ったことではなく、分からないとき、なぜか「指がそこに行く」ということがあるのです。

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(第40期棋王戦 第2局より )

分からない局面に出る指運の凄さ

私など、棋力はたいしたことがないので、「あ、どうしよう。分からないな」というときに指す手は、たいてい悪い手を選んでしまいます。「どちらかが当たりです。AとBのどちらを選びますか?」と言われて、二択なのに必ずハズレの方を選んでしまうという感じ。ところが、強い人は不思議と悪い手を指さないのです。

分からないけれど何か一手指さなくてはいけないと思い本能的に手を出す。その、ふと指した手が当たっているのです。2人で最善手を積み上げてきたような素晴らしい対局において、しかも時間がもうないといった状況で、見事な指運が出たのを何度も眼にしました。見ているだけで鳥肌が立つ凄さを感じさせられます。

「指運」と言っても、それは運試しの「運」ではありません。以前の記事でも述べた「詰み勘」の「勘」と一緒で、「指運」を出せる土台がちゃんとできているから、当たりの方に手がいくのです。

結局、私の様に悪い手になってしまうのは、今まで努力をしていなかった証拠です。プロ棋士は実体験でそれを知っているから、対局の中でそういう局面に出くわしたときに指運で当たりの方に手を持っていくためにも、棋譜並べや詰将棋、読みの無駄、戦術の研究など様々な努力を積み重ねているのです。だから羽生三冠も、銀将の裏がすり減るまで家で駒を並べて研究しているのです。あのすり減った銀将を見たときの衝撃は今でも私の脳裏に残っています。プロ棋士の凄さをまざまざと見せられた気がします。

理屈や読みだけでは説明できないような「指運」や「勘」にこそ、不断の努力の本質が反映される。その人の過ごしてきたすべての時間の結果が偶然に見える一手に表れる。そう考えると、指運の意味するところの重さに、思わず襟を正す思いがします。

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指運をつかみ取る姿勢

人生においても、大きな決断を迫られるときがあります。その決断も、理詰めのシミュレーションや損得勘定だけでは答えが出ないとき、ここにも指運と同種の「運」の介在を感じさせざるを得ません。そんなとき私たちも、何をどれだけ頑張って積み重ねてきたか、どういう心持ちで生きてきたか、そういうことが問われることになるのだと思います。最善の「指運」をつかみ取るために、プロ棋士の姿勢を見習って生きたいものです。

子供たちは将棋から何を学ぶのか

安次嶺隆幸

ライター安次嶺隆幸

東京福祉大学教育学部教育学科専任講師(元私立暁星小学校教諭)。公益社団法人日本将棋連盟学校教育アドバイザー。 2015年からJT将棋日本シリーズでの特別講演を全国で行う。中学1年生のとき、第1回中学生名人戦出場。その後、剣持松二九段の門下生として弟子入り。高校、大学と奨励会を3度受験。アマ五段位。 主な著書に「子どもが激変する 将棋メソッド」(明治図書)「将棋をやってる子供はなぜ「伸びしろ」が大きいのか? 」(講談社)「将棋に学ぶ」(東洋館出版)など。

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