パンチパーマから坊主に。森けい二九段が頭を丸めて中原誠名人に挑んだ、その真意とは?

パンチパーマから坊主に。森けい二九段が頭を丸めて中原誠名人に挑んだ、その真意とは?

ライター: 玉響  更新: 2017年08月18日

第2回は、森けい二九段が四段になってから名人戦に初挑戦した時までのことを振り返っていただきました。特に、第36期名人戦七番勝負で中原誠名人に挑んだ「剃髪の挑戦」は有名ですが、今だからこそ話せる裏話は、必見です。

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第36期名人戦七番勝負第1局(1978年3月15、16日)。いきなりの剃髪姿で現れた森八段。対戦相手の中原名人はもとより、周囲の者も唖然としたという。この対局は森八段が快勝した。(※肩書は、いずれも当時)撮影:中野英伴

――プロデビュー当初はいかがでしたか。

「四段になれればそれでいいと思っていて、勉強なんかしないで遊んでいました。初参加のC級2組順位戦が8勝4敗だったんだけど、2期目がひどいんですよ。前半戦がボロボロで。当時は降級点なんてないから、ひどいといきなり三段に落ちちゃう。どうして負けるのか分からなかったんだけど、1カ月に30日くらい麻雀やっていて、そうしたら麻雀のやりすぎじゃないかなと思って、やめたんです。それでリーグ後半戦からは対戦相手のことを調べたの。でも今みたいに棋譜は手に入らないから全部手書きで写して対策を練るようになったんですね。そうしたら6勝6敗の指し分けで。3期目は残り2戦を残して10連勝で昇級しちゃったんです。最後は2連敗したんだけど、今思えば甘くて、12連勝するべきだった。昇級が確定しているから気が抜けているんだよね」

――C級1組に上がったあとは破竹の勢いで1年おきに昇級されましたね。

「五段になったときに、ひょっとしたら自分は才能があるんじゃないかと思って将棋に集中していました。ただ、七段の頃の2年間くらいは、それまで封印していた麻雀を解禁していたんですよ。A級八段に上がったらまたやめた。名人に挑戦したいから。ひょっとしたら名人の挑戦者になれるかなーと思ったんですよ。なっちゃったけどね。でも自分では挑戦できると思っていなかったんだよ、本当は。もっと強い人がいっぱいいたからね。升田、大山、二上(故人・達也九段)、加藤(一二三九段)、米長(故人・邦雄永世棋聖)とか。俺なんか指し分けになればいいかなと思って」

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「剃髪の挑戦」といえば、真っ先にこの写真を思い浮かべる方も多いかと思う。中野英伴氏の代表作だ。撮影:中野英伴

――時は31歳。名人に挑戦される9カ月前、棋聖戦でタイトル戦に初登場しました。相手は大山十五世名人。振り返っていかがですか。

「気負ってばっかりいて、あんまり自分らしい将棋が指せませんでしたね。その時、大山先生は偉大だとは思っていたんだけど、将棋は強いと思っていなかった。でも、のらりくらりとやられてね。印象に残っているのは、1回だけ勝った第2局。対局前日から急に40度以上の高熱が出て、とても集中できるような状態じゃなかった。腹痛もあって、とにかく相手が指したらパッと指して手洗いに立つ。考えられないから直感だけでやったんだけど、そうしたら勝っちゃったんだ。結局、1勝3敗で負けて、力を出せないシリーズでした」

――初参加となったA級順位戦はスタートから5連勝でしたね。

「5連勝もしたらひょっとしたら挑戦者になれるかと思っちゃうじゃない。6戦目にね、有吉さん(道夫九段)に必敗の将棋を逆転して勝ちになったんだけど、秒読みに追われて大チョンボした。まだ1敗したとはいえ、挑戦者にいちばん近いんです。でも残り2戦を負けて挑戦者になれなかったら......と思って。終わったあと、その日に眠れなくて天井がぐるぐる回って。昔の天井ってマス目になっていて盤に見えてくるわけですよ。それで駒がチラチラ浮かんできて。そのときに、もし挑戦者になったら中原誠に剃髪して臨もうと思っていたんです」

――有名な「剃髪の挑戦者」ですね。有吉戦の直後に決意されていたのは初耳です。

「それにはね、前置きがあるんですよ。私が奨励会1級のとき、当時の蛸島彰子初段(現女流六段)に昇段の懸かった一番を負けて坊主にした。それが最初だったんです」

――自らを戒めるために剃髪されたのですね。そして、残り2戦も勝ち、中原誠名人に挑戦しました。

「開幕局の対局場が仙台ホテル。対局前日は、まだパンチパーマだったんです。私は別のホテルを取っていたので、『途中で失礼します』と前夜祭が終わる前に抜け出したんです。仙台ホテルの下に床屋があって、店が閉まる前に行ってね。おやじさんに『頭を剃ってほしい。つるつるにしてくれ』と頼んだんです」

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第36期名人戦七番勝負第5局で盤側に立って考える森八段。第5局は、千日手指し直しとなった。(※肩書きは当時)撮影:中野英伴

――対局当時を振り返ってみていかがでしたか。

「当日は大山(康晴)特別立会人、花村(故人・元司九段)立会人だった。どちらも坊主だから、花村先生が、『私たちの断りなしに』なんて冗談をいわれましたけど、対局場の空気はピリピリしていましたよ。

――中原先生は驚かれた表情をしていましたか。

「そうですね。僕と目を合わせようとしていなかったし。中原さんとは今も仲がよくて会うんだけど、『森君、あのときはビックリしたよ』って最近になって言われましたよ。『心臓が止まるかと思った。どこのお坊さんかと思った』ってね。有吉さんに負けた日に剃ってもよかったんだけど、それじゃインパクトが薄いじゃない。そのときは中原さんを驚かせようと思ったわけじゃないんだよね。みんなには話してないけど、有吉さんに負けたときに決めていたことだから」

「剃髪の挑戦」については、過去にもいろいろなところで採り上げられていますが、今回、初めて明かされた話もあり、非常に興味深い内容でした。

さて、第3回は森九段の思い出の将棋を振り返っていただきます。ご期待ください。

森けい二九段インタビュー

玉響

ライター玉響

平成元年生まれ。2004年から2016年1月まで奨励会に在籍。同年5月からフリーライターとして活動開始。以来、日本将棋連盟のネット中継業務を担当している。ほかに将棋番組制作、将棋教室の仕事にも携わる。将棋漬けの日々を送っているが、実戦不足なのが悩み。

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