「勝負の世界は、苦境を乗りきるメンタルも重要」羽生三冠と戦ったタイトル戦挑戦や、テレビ出演について【注目の若手・中村六段インタビュー vol.4】

「勝負の世界は、苦境を乗りきるメンタルも重要」羽生三冠と戦ったタイトル戦挑戦や、テレビ出演について【注目の若手・中村六段インタビュー vol.4】

ライター: 内田晶  更新: 2017年02月10日

最終回となる今回は、中村太地六段がタイトル挑戦を果たし、対戦相手の羽生善治三冠についてや1年間テレビ番組に出演したことなど、そして今後の目標について語っていただきます。

nakamura04_01.jpg
第83期棋聖戦挑戦者決定戦(2012年4月26日)で深浦康市九段を破り初のタイトル戦挑戦を決めた。撮影:常盤秀樹

 ーー中村六段は2012年度の第83期棋聖戦でタイトル初挑戦を果たしました。師匠が永世称号を持っている棋戦ということで話題になりましたね。

「師匠に縁のある棋聖戦でタイトル初挑戦ができたことをうれしく思いました。挑戦を決めた直後に師匠から電話でアドバイスをいただき、大事な和服も譲り受けたのです」

「電話で初めにいわれたのは『タイトルを獲ってくれ。どうしても獲ってほしい』でした。私は師匠の病気のことはまだあまり知らなかったんですが、振り返れば自分が元気なうちにという願いがあったんだと思います」

「もうひとつ『対戦相手の羽生先生を尊敬するな』ともいわれました。私は羽生先生に憧れてプロ棋士になったわけですから尊敬の念は強いのですが、師匠のおっしゃったことは自分でも薄々気付いていました。同じ土俵で戦うわけですから、畏敬の念を持って戦いに入ってしまうと対戦できただけで満足してしまい、勝負という面ではマイナスに働いてしまうでしょう。ただ、羽生先生は目標の先輩ですし、タイトルホルダーとして尊重はしなければいけません。そのバランスが難しかったです」

 ーー初挑戦の棋聖戦は羽生三冠のタイトル獲得数の新記録(81期)が掛かっていたシリーズでした。一般マスコミも多く駆けつけていましたが、やりにくさはなかったですか。

「私にとって初めてのタイトル戦でしたので、何が特別なのかはあまりよく分かっていませんでした。ただ、3連敗で終わってしまったのは情けなかったです。5局目まで楽しみにしてくださっていたファンやスポンサーの方々には申し訳なく思いました。あらためて実力不足を痛感しました」

 ーー敗戦後、米長永世棋聖とはどんな話をしたのでしょうか。

「明るい表情で次がある、といった感じのお話だったと記憶しています。常に明るく声を掛けてくれる師匠でした。弟子の成績をよく把握していましたね。もちろんまずは自分のために頑張っているのですが、応援してくださる方のためにといった気持ちが強くなりました」

 ーー翌年の2013年秋、第61期王座戦で再びタイトル戦への登場を決めました。

「タイトル戦は華やかな舞台で何度でも立ちたい場所です。あまり間を置かずに出られたのは幸せでした」

 ーー対戦相手はまたも羽生王座でした。結果はフルセットの末に敗れてしまい、初戴冠は先送りとなってしまいました。

「あのシリーズは、いまでも惜しかったねとファンの方にいわれます。第4局では名局賞もいただきましたし、熱戦だったことはうれしいのですが、結果が伴わなかったことは残念でなりません」

「終わった直後はあの場面で別の手を指しておけばと思うこともありましたが、時間が経ってみるとすべてが結果であって実力だと感じました。谷川先生(浩司九段)の言葉にあるように、反省はするが後悔はしないという感じで、この敗戦をどう生かすべきか。この経験がマイナスに作用してしまってはいけません。どうプラスに働かせるかが大事で、それも今後の自分次第だと思っております」

 ーー今まで指した将棋で印象に残っている一局をあげてください。

「やはり王座戦五番勝負で、どの将棋も印象深いです。第1局では初めて羽生先生に勝つことができて大きな自信になりました。名局賞をいただいた第4局も感慨深いですが、第5局の投了図も印象的です」

【103手目▲6一角まで】

 ーー第5局は中村六段にとって残念な内容だったと聞きます。

「均衡を保っていた中盤の終わりぐらいで私にミスが出てしまい、将棋をダメにしてしまったのです。実質的に勝負はそこで終わってしまったのですが、タイトル戦ですし、せめて綺麗な棋譜を作って終わりたいという気持ちでした。首を差し出す形で私の中に浮かんできたのが実際の投了図でした。羽生先生もその形に持っていってくださり、最後は美しい形での収束となったわけです。『棋は対話なり』を実感した一局として印象に残っています」

nakamura04_02.jpg
第61期王座戦五番勝負第3局(2013年10月2日)終局直後の模様。撮影:常盤秀樹

 ーー中村六段はテレビの出演も多く、メディアへの露出も積極的です。棋士のテレビ出演は大きな普及になっていますね。

「1年間「NHK NEWS WEB」という番組に出させていただきました。すごく貴重な経験をさせていただき、光栄に思いました。棋士ととして出演させていただきましたので、将棋界に迷惑が掛からないように細心の注意を払いました。少しでも将棋界のいい面をアピールできるように自分なりに頑張ったつもりです。大学に通ったことにも通じますが、あの番組に出演させていただいたことで世界が広がりました。ニュースを見る目も変わりましたし、さまざまなことにもアンテナを張り巡らせるようになりましたので、本当によかったと思っております」

 ーー生放送は準備も時間を要したそうですね。スケジュール管理が大変だったのではないですか。

「毎週夜に生放送があり、打ち合わせの時間がかなり長かったです。ですので放送の日は1日仕事になります。自分でニュースをひとつ選んで紹介するコーナーがあり、かなり時間が掛かりました。放送日が対局の前夜になることもあってスケジュール的に大変でしたが、それを差し引いても得難い経験をさせていただいたと思っております」

「羽生先生には通算1300勝を達成したときに、ご出演していただきました。お忙しいところスタジオに来ていただき、とてもありがたかったです」

 ーースケジュール的に対局との両立も大変そうでしたね。

「テレビに出る時間を将棋の勉強に充てていたら、もしかすると違った結果が出ていたかもしれません。ですが、将棋用語でいう、どちらも一局だと私は考えています。勝負の世界は技術的なことばかりではなく、苦境を乗りきるメンタルの要素も重要です。人間はいろいろな経験によって成長し、精神的に強くなれると思っています。また、それが勝負において必ずや生きてくるはずだと私は信じています。ですので、この貴重な経験をプラスに変えられるように、今後も頑張っていく所存です」

nakamura04_03.jpg
クリスマスフェスタ2015でのサイン会の模様。撮影:常盤秀樹

 ーー最後に今後の抱負をお願いします。

「トーナメント棋士としてはトップになるのが大きな目標です。タイトル獲得やA級昇級、竜王戦での1組昇級など、いろいろな棋戦で活躍したいと願っております」

「普及活動も棋士として大きな仕事で、東竜門の一員として活動をしています。将棋は心から素晴らしい伝統文化です。この面白いゲームを一人でも多くの方にお伝えしていくのが棋士としての使命でもあります。過去の経験を生かすことで自分にしかできない活動をして、それが実現できるように頑張りたいですね」

「20代前半は情報をインプットすることに力を注いでいました。30代が近づいてきた現在は身に付けた知識や技術を自分なりに昇華させて、いい形でアウトプットできるようにしたいです」

以上、中村六段のインタビューでした。

取材協力中村太地六段

2000年に6級で米長邦雄永世棋聖に入門。2006年に四段。2012年に六段。2012年の第83期棋聖戦、2013年の第61期王座戦でタイトル挑戦。

中村太地六段インタビュー

内田晶

ライター内田晶

1974年、東京都の生まれ。小学生時代に将棋のルールを知るが、本格的に興味を持ったのは中学2年のとき。1998年春、週刊将棋の記者として活動し、2012年秋にフリーの観戦記者となる。現在は王位戦・棋王戦・NHK杯戦・女流名人戦で観戦記を執筆する。囲碁将棋チャンネル「将棋まるナビ」のキャスターを務める。

このライターの記事一覧

この記事の関連ワード

  • Facebookでシェア
  • はてなブックマーク
  • Pocketに保存
  • Google+でシェア

こちらから将棋コラムの更新情報を受け取れます。

Twitterで受け取る
facebookで受け取る
RSSで受け取る
RSS

こんな記事も読まれています