将棋コラム

「社長のような将棋を指すように」師・米長邦雄永世棋聖から受けたアドバイス、その真意は?【注目の若手・中村六段インタビュー vol.2】

「社長のような将棋を指すように」師・米長邦雄永世棋聖から受けたアドバイス、その真意は?【注目の若手・中村六段インタビュー vol.2】

更新: 2017年02月08日

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中村太地六段インタビュー

第2回は、中村太地六段が故・米長邦雄永世棋聖に入門した、奨励会時代の話です。米長永世棋聖から、多くのことを学び、感じ取ったことを中村六段に語っていただきました。

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第61期王座戦挑戦者決定戦(2013年7月22日)昼休明け。郷田真隆九段を下し、二度目のタイトル戦挑戦を果たす。撮影:常盤秀樹

 ーー奨励会試験を受験するにあたって米長永世棋聖に入門しました。米長永世棋聖との出会いをお聞かせください。

「実は師匠との縁は全くなくて。両親が米長先生のファンで、出版されていた本をよく読んでいたのがきっかけかもしれません。当時、通っていた八王子将棋クラブ席主の八木下さんに推薦文を書いていただき、師匠に手紙を出すことになったのです。両親とは『米長先生に入門できたらいいね』と話していたことを覚えています」

 ーー期待を胸に抱いて米長永世棋聖と会うことになったんですね。

「お返事をいただき、面接をしてくださることになりました。米長先生は著書にも書かれているように、本人以上に母親を重視して判断をするそうです。実際に母親も面接されまして、何とか弟子にしていただきました。ちなみに私の父は会社員です」

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第21期竜王戦七番勝負第1局(2008年10月18、19日)感想戦中での一枚。フランス・パリで行われた対局は、立会を米長邦雄永世棋聖が、そして記録を中村四段(当時)の師弟コンビが務めた。撮影:常盤秀樹

 ーー同門の長岡裕也五段も八王子将棋クラブのご出身でしたね。

「長岡さんは私より3つ年上で、当時から優しく教えていただきました。お世話になっている長岡さんと同じ門下で修業してみたいと思ったのも、米長先生に入門したきっかけのひとつです」

 ーー米長師匠に教わったことで印象深かったことはありますか。

「米長先生の弟子たちは月に1回、師匠宅に伺って奨励会で指した将棋を見ていただくのが恒例の勉強会でした。他の弟子たちを前にして師匠が将棋を見て感想をおっしゃるのです。トップ棋士から講評をいただけるありがたい時間でした」

 ーー実に緊張感のある空間ですね。そんな中で米長永世棋聖から意味深な助言をされたそうですね。

「私以外の弟子には1局並べ終えると『これからも勢いよく指しなさい』といったざっくりしたアドバイスが多かったですね。ところが、私の棋譜を見終えた師匠はすごく深刻そうな顔をされたのです。私に向かって『この将棋はどうだったと思う?』と質問を突きつけられてドキッとしました」

「そのとき自分が何と答えたのかは覚えていませんが『君の将棋は平社員のような指し方だ。もっと社長のような将棋を指すようにしなさい』といわれたのです。師匠のおっしゃりたいことは何となく分かったつもりでしたが、理解していないことまでも見抜かれたようでして『お父さんに相談して考えてみなさい。理解できたら文章で提出しなさい』といわれました」

 ーー社長のような将棋とは何を意味するのでしょうか。

「目先の利益だけにこだわって先を見据えていないようではいけない、といった趣旨のことでした。木を見て森を見ずのような感じで、深みもなければ厚みもない単調な将棋を心配されたのだと思います。当時の私は確か2級か1級でした。意思のある強いアドバイスをいただき、その後にスランプを脱出して昇級することができたのです。棋士になったいまでも、すごく印象に残っています」

 ーー米長師匠とは、ほかにどんな話をされたのですか。

「師匠は威厳があって怖い感じが漂っており、恐れ多くてなかなか口が聞けなかったです。師匠には畏怖の念を抱いていたこともあり、少し離れたところから背中を見ることで、棋士としての生きざまなどを学ぶといった感じでした」

「ですが、棋士になって10年が経った現在なら、もっと積極的に自分から歩み寄って、萎縮せずに話せたのではないかと思います。もったいないことをしたと後悔しています。まだまだいろいろなことを教えていただきたかったので、69歳の若さで亡くなられたのは非常に残念でなりません」

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第1回電王戦(2012年1月14日)で米長永世棋聖がコンピュータソフト「ボンクラーズ」と対局した。ソフト側の指し手は中村五段(当時)が並べた。中村五段を指名したのは米長永世棋聖であった。撮影:常盤秀樹

 ーーあらためて米長永世棋聖は中村六段にとってどんな師匠でしたか。

「将棋連盟会長のときの顔と弟子に見せる師匠としての顔は全く違ったと思います。怒られたことはありませんが、常に近寄りがたいオーラのようなものがあり、とても緊張感のある先生でした」

「亡くなる数日前に病院まで面会に行ったときのことが忘れられません。咳き込んでいてつらそうにしながら、将棋界の未来について語っていらっしゃったのは衝撃でした。亡くなる間際まで将棋連盟の将来のことを考えていらっしゃったのです。ベッドに横たわった師匠から初めて手を差し伸べられました。手を握ったら全くといっていいほど力がなく、おぼろげに『これが最後なんだな』と思った記憶があります」

 ーー中村六段も師匠の伝統を受け継いでいかれると思いますが、具体的に考えていることはありますか。

「対局と普及の両立を大事に考えていらっしゃいました。自分のこと以上に将棋界のことを第一に考える姿勢は見習っていきたいですし、棋士としてあるべき姿だと思っております。どういった形で関わることができるかは分かりませんが、将棋界のためになる活動は積極的にしていきたいと考えています。テレビのニュース番組でレギュラー出演をさせていただいたのも、師匠の考えを重んじてのことでした」(続)

中村六段がTVなどの各メディアに出演するのは、師匠である米長永世棋聖の影響があったとは、驚きでした。次回は、学業と将棋の両立やプロ棋士になってから中村六段自身の将棋について語っていただきます。

中村太地六段インタビュー

内田晶

ライター内田晶

1974年、東京都の生まれ。小学生時代に将棋のルールを知るが、本格的に興味を持ったのは中学2年のとき。1998年春、週刊将棋の記者として活動し、2012年秋にフリーの観戦記者となる。現在は王位戦・棋王戦・NHK杯戦・女流名人戦で観戦記を執筆する。囲碁将棋チャンネル「将棋まるナビ」のキャスターを務める。

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