『金色のひみつ』――千葉涼子女流四段

 金色の秘密を見つけたのは、小学校の図書室だった。
 今思い返すと、とても内向的な性格だった私は、本当の気持ちを見分けて対応するのが驚くほど下手な子供だった。絡まった言葉の糸をどうしてもほぐせなくて、なにが正解かを見出せず、人付き合いに疲れ、途方に暮れて、図書室に入り浸っていたのだ。
 図書室にはほとんどの日は自分ひとりしかいなくて、静寂に満ち満ちていた楽園だった。
伝記物や各国の神話を端から読んだり、コナンドイルに夢中になったりした。画集を眺めるのも好きだった。
 ある日、「金色ってどう表現するんだろう」と気になった。じーっと画集を見つめると、光沢の部分は思い切って明るく、影の部分に黄土色をうまく使っていることに気が付いた。
「金色の秘密は、黄土色だったんだ!」と秘密を見つけたように、嬉しかったのを覚えている。
 この秘密を20年以上の時を経て、塗り絵をしていた、当時幼稚園児だった長女に話したのは、思いのほか幸せな経験だった。当時は誰かに話す日が来るとは思っていなかったのだから。
 一緒に塗り絵をしていて、アニメの主人公の半端ではない変身後の毛量におののき、塗りつぶすのを諦め、つやっつやの髪にすることで労力を半分にしようとして(光沢分塗るのをさぼれるのだ)、
 「ママ、つやつやの髪にしないで」と怒られたのも懐かしい思い出だ。
 長女には、折り紙の秘密も教えたものだ。折り紙の折った先がピシッと折れずに、困った顔でどうしたらいいのか聞かれたのだ。それは紙二重の秘密である。
 折った紙どうしを合わせる時には、最初から折り目の部分の厚みを見込んで、ほんの少しだけ隙間を開けて折らないと、ピシッとならないのだ。折り紙の本の最初のページに書いてあったらいいのになと思う。秘密を教えた長女はいまや何を折ってもピッシピシに折る。

 大人になってから見つけた大好きな金色は、黄葉した銀杏の葉に太陽が当たっているところだ。それが風に揺れていると、金色がきらめいているようで、目を閉じて美しさを味わってしまう。そんな日は決まって空が透き通るように青い。銀杏の葉が落ちるタイミングに、ざーっと風がふくと、たくさんの金色が舞い落ちるので、「金色の風だ」といつも思う。銀杏の木は本当によく見かけるので、毎年味わっている、身近な金色の秘密である。
 10代のころ読んだマンガに今でも忘れられない言葉がある。初恋に破れた主人公が真に自分が愛している人は誰なのかに気づき、また相手にどれだけ愛されてきたか、理解したときに、その幼馴染の相手に告げた言葉だ。心優しくあたたかい男性こそが真に頼るにたる男性だと気づくとき、大抵の女はもう年老いてしまっている...という大体このような言葉だった。
 それはそれはガツンと衝撃を感じた言葉だ。大切なことを教えられたように感じた。
当たり前のようにずっとそばにいてくれた、幼馴染。平凡そうに見えて、実はそうではない、それは幸せの青い鳥。恋愛に限らず、家族も同じなのだろう。
 そばにいてくれる人の優しさ、それは身近な金色の秘密なのだと思う。

おすすめの記事

棋士・棋戦

2024.01.16

里見、2年連続の挑戦を跳ね返す