千駄ヶ谷の受け師。王位戦挑戦者、木村一基八段の魅力とは

千駄ヶ谷の受け師。王位戦挑戦者、木村一基八段の魅力とは

ライター: 直江雨続  更新: 2016年09月25日

第57期王位戦。挑戦者木村一基八段が3勝2敗で初タイトルに王手をかけていた第6局の舞台。神奈川県秦野市「元湯 陣屋」。

大盤解説会場となっていた陣屋の「竹河の間」に無音の衝撃が走ったあの瞬間。羽生王位の指した70手目、△5七桂成。金が逃げた5七の地点に桂馬を成り捨てた一手。素人目にはこの成桂はタダで取られてしまうだけ、に見えます...。立会人の屋敷伸之九段と副立会人の佐藤紳哉七段も、大盤解説ではこの手を予想していませんでした。

しかし、二人が大盤で駒を動かしていくと羽生王位の恐ろしい狙いが明らかになります。この成桂は金で取っても、角で取っても、そのあとの数手で後手の羽生王位が大優勢になるのです。

「気の早い人なら投了してもおかしくはないです」と、屋敷九段。モニターに映る木村八段の肩が落ちていました。ただ事ではないことは誰の目にも明らかでした。

羽生マジック。

木村八段の心中にどれだけの葛藤があったのでしょうか。ここで投了することを何度考えたのでしょうか。しかし、衝撃の△5七桂成から、実に53分が経過した後、木村八段は指しました。53分考えて、苦しんで、でも投了はしませんでした。

屋敷九段の先ほどの言葉には、続きがありました。「投了してもおかしくないです。でも、木村八段ですから、歯を食いしばって指し続けると思います。」

誰もが終わったと思った局面から44手も指し続けたあと、この将棋は18時44分に終局を迎えました。王位戦七番勝負は3勝3敗のフルセット。タイトルの行方は最終第7局に持ち越されました。

今回のコラムでは今最も注目されている棋士である木村一基八段を紹介させていただきます。

苦労してプロ棋士になった若き日の木村一基

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木村八段は1973年6月23日生まれ、千葉県四街道市出身の43歳です。1985年12月、木村八段が小学6年生の時、プロ棋士の養成機関である奨励会に入会しました。

同じ月に、当時中学3年生だった羽生善治三冠が『史上3人目の中学生棋士』として、四段プロデビューしています。木村八段が奨励会に入った時、すでに羽生三冠は将来を期待されたプロ棋士だったのです。

木村八段は1988年10月には奨励会で二段まで昇段しています。昇段ペースとしては決して遅くはありません。

しかし、そこからが長かったのです。三段昇段までかかった年数は約2年間。17歳、初めて参加した三段リーグは7勝11敗でした。そこから三段リーグでも足踏みが続きます。羽生善治三冠が史上初の七大タイトル制覇を果たし、七冠になったのは1996年2月14日。同じころ木村一基三段は11期目の三段リーグを11勝7敗で終えていました。またも昇段を逃した木村三段の目に、羽生七冠の姿はどのように映っていたのでしょうか...。

続く12期目の三段リーグ、木村三段は開幕から5連勝と絶好のスタートを切っています。しかし、後半失速。同じ11勝7敗ながら、順位が上だった野月浩貴三段(現七段)に頭ハネで敗れてまたしてもプロ入りはなりませんでした。

そして三段リーグ13期目、三段昇段から6年半。14勝4敗の成績でついに木村三段はこの地獄のリーグを抜けました。

将棋世界1997年5月号、木村一基四段(当時)の四段昇段の記を引用し、ご紹介します。

前期上がれなかったのは悔しかった。愚かなことに開幕5連勝してもう昇段も同然、と思ってしまった。恥ずかしいことにのぼせ上がっていた。僕の子分であるN月君(仮名)がそれまで不調で「まだまだこれからじゃん、頑張ろうぜ」なんて余裕のあることを言っていた。自分が後半大崩れしてまさかこの男に頭ハネを喰らわされてしまうとはこの時夢にも思わなかった。残念だったね、と慰めてくれている沼師匠の前で溢れ出てくる涙を抑えることができなかった。あの恥ずかしく悔しい思いは、今も忘れることができない。

プロ入り後の木村八段の活躍

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プロ入り後の木村八段はこれまでの鬱憤を晴らすかのように勝ちまくります。2001年度には将棋大賞の勝率1位賞(0.8356 歴代4位)、最多勝利賞(61勝 歴代4位タイ)、最多対局賞を受賞するなど、大活躍。

2016年時点で竜王戦1組通算8期、順位戦A級通算4期、棋戦優勝2回、タイトル戦登場回数6回という、まさに現代を代表する超一流棋士のひとりなのです。

印象的な木村八段の将棋をご紹介します。2002年10月11日、第33回新人王戦決勝三番勝負第3局。木村一基六段(当時)対 鈴木大介七段(当時)によって争われた新人王戦で木村六段はちょっと類を見ないような指し回しを見せて、勝利。嬉しい棋戦初優勝を飾りました。

この対局は、木村八段の棋風を象徴するような名局だと思います。こちら、投了図をご覧ください。

まず、先手玉がどこにいるか、一瞬わからなくなるはずです。 中盤、自陣に攻め込まれた木村玉はするすると単騎で上部に脱出。そしてなんと、最後は相手の王様を寄せる攻め駒となってしまったのです!のちに『千駄ヶ谷の受け師』という異名で呼ばれることになる木村八段の若き日の見事な「玉さばき」。興味のある方はぜひ棋譜を並べてみてください。

百折不撓 木村八段のタイトル戦挑戦の軌跡

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2005年、木村八段は第18期竜王戦の挑戦者決定三番勝負で三浦弘行八段を破りついにタイトル初挑戦。しかし、渡辺明竜王に0勝4敗のストレートで敗れてタイトル獲得はなりませんでした。

2008年、第56期王座戦で2度目のタイトル戦出場。羽生善治王座に挑戦するも、0勝3敗のストレートで敗れます。

2009年、第80期棋聖戦で3度目のタイトル戦出場。羽生棋聖に挑戦したこのシリーズは、1局目を落とすも2局目、3局目と連勝し、タイトル奪取に王手をかけます。しかし、第4局、第5局と勝てば棋聖獲得となる対局で連敗。三度目の正直はなりませんでした。

2009年は第50期王位戦でも挑戦者となり、これが4度目となるタイトル戦出場。深浦康市王位を相手に3連勝とし、こちらもあと1勝で王位を獲得できる大チャンスとなったのですが、そこからまさかの4連敗。誰もが木村王位の誕生かと思ったシリーズは、無念の結果となりました。

2014年の第55期王位戦。5年ぶり、そして5度目のタイトル戦出場。羽生王位に挑戦したものの、2勝4敗1持将棋で、タイトル獲得はまたもお預けとなりました。

そして今年、2016年の第57期王位戦。6度目のタイトル挑戦で羽生王位に挑んでいる木村八段は第6局までを終えて3勝3敗のフルセットで最終局を迎えます。果たして、悲願の初タイトル獲得となるのでしょうか。ファンが固唾を飲んで最終局を待っています。

世紀の決戦は陣屋で決着!

2016年9月26~27日、第7局は第6局と同じ「元湯 陣屋」で開催されます。3勝3敗で迎える最終局。泣いても笑ってもここで今年の王位戦は終わり。

「木村先生の初タイトル獲得の場面を見たい!」「でも、羽生王位がタイトルを取られるところは見たくない!」

多くの将棋ファンがそんな気持ちを抱えて、このシリーズの決着を見守っています。いったいどのような対局となるのでしょうか。果たして木村王位誕生となるのか、羽生王位の防衛か。

いよいよ世紀の決戦が始まります。

*写真はすべて王位戦中継ブログより引用

直江雨続

ライター直江雨続

フォトグラファー/ライター。
2007年ごろよりカメラを片手に将棋イベントに参加してきた『撮る将棋ファン』。
この10年間で撮った棋士の写真は20万枚以上。
将棋を楽しみ、棋士を応援し、将棋ファンの輪を広げることが何よりの喜び。
『将棋対局 ~女流棋士の知と美~』や女子アマ団体戦『ショウギナデシコ』で公式カメラマンを務める。

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