Aコース問題は三択以外に四択、記述式が12分野から出題されます。
分野 | 設問 | 解答 | ワンポイント解説 |
1 | 昭和10年代、名人の任期は何年だったでしょうか。 (1)1年 (2)2年 (3)3年 |
(2) | この時代はタイトル戦が名人戦だけでした。1期2年の在位で、第1期から第5期まで戦前はすべて木村義雄が名人に在位しました。 |
1 | 「通算タイトル獲得数」が10期以上の棋士は何人いるでしょうか。 (1)7人 (2)8人 (3)9人 |
(2) | 羽生善治、大山康晴、中原誠、谷川浩司、米長邦雄、渡辺明、佐藤康光、森内俊之の8人です。 |
1 | 大山康晴十五世名人が持つ「タイトル戦連続登場回数」の記録は何回でしょうか。 (1)45回 (2)50回 (3)55回 |
(2) | 2位が羽生名人の23期なので、どれだけすごい記録か分かります。 |
1 | 大山十五世名人は史上最高齢のタイトル挑戦者です。では、いくつだったでしょうか。 (1)60歳 (2)63歳 (3)66歳 |
(3) | 66歳11カ月の時、第15期棋王戦五番勝負で南芳一棋王に挑戦しましたが、0―3で敗れました。 |
1 | 千日手や持将棋などにより、最多の十番勝負となった名人戦で中原誠名人に挑戦した棋士はだれだったでしょうか。 (1)大内延介 (2)米長邦雄 (3)加藤一二三 |
(3) | 第40期名人戦で加藤一二三十段は4勝3敗1持将棋2千日手で中原名人を破り、42歳で名人に就位しました。 |
2 | 「争い将棋」として有名な大橋宗銀と伊藤印達との対戦は全部で何局行われたでしょうか。数字でお答えください。(記述式) | 57局 | 印達12歳から14歳、宗銀16歳から18歳まで戦い、印達の方が強く、勝ち越しました。(駒落ちを含む。年齢は数え) |
2 | 明治初の将棋雑誌「将棊新報」を創刊した棋士はだれだったでしょうか。 (1)小菅剣之助 (2)小野五平 (3)伊藤宗印 |
(3) | 明治14年11月、伊藤宗印十一世名人は棋士団体「魁進社」を結び、「将棊新報」を創刊しました。 |
2 | 新聞棋戦は初めて明治41年の萬朝報(よろずちょうほう)に連載されました。この新聞社の社長で、『巌窟王』や『ああ無情』を翻訳したのはだれだったでしょうか。 (1)菊池寛 (2)黒岩涙香 (3)徳富蘇峰 (4)幸田露伴 |
(2) | 担当記者は三木愛花(本名・貞一)。三木は初の棋士団体「将棋同盟会(のち将棋同盟社)」の結成などにも尽力しました。 |
2 | 昭和36年に東京・千駄ヶ谷に将棋会館が建設されました。この場所を選んだ時の日本将棋連盟会長は、だれだったでしょうか。 (1)萩原淳 (2)丸田祐三 (3)加藤治郎 |
(3) | 昭和32年に会長に就任した加藤八段(のち名誉九段)は、徳川家がかつて馬場として使っていた土地を選びました。 |
2 | 江戸時代の家元で、大橋宗桂を名のった名人は何人いたでしょうか。 (1)2人 (2)3人 (3)4人 |
(2) | 初代大橋宗桂の一世名人、五代の四世名人、九代の八世名人の3人です。 |
3 | 今年行われた第8期マイナビ女子オープン五番勝負第3局で使用された駒の書き文字は、ある現役棋士のものでした。その棋士はだれでしょうか。 (1)谷川浩司 (2)中原誠 (3)佐藤康光 |
(3) | 吉岡出石(いずし)作の「康光駒」でした。 |
3 | 天童市の駒作りは、江戸時代末期に天童藩の奨励によって発展しました。その天童藩の藩主は何家ですか。 (1)武田家 (2)伊達家 (3)織田家 |
(3) | 織田家の家老・吉田守隆(通称大八)は、苦しい下級藩士の生活を救うため、駒作りの指導者を米沢藩から招き、将棋駒の内職を奨励しました。 |
3 | 書体で「菱湖(りょうこ)」「巻菱湖(まきのりょうこ)」があります。実はこの2つとも、作者(駒師)の違いを除けば同じ書体です。「巻菱湖」の「巻」とは本来何を意味しているのでしょうか。次の中から選んでください。 (1)「菱湖」の名字 (2)地名が由来 (3)巻物に「菱湖」が字を書いたから |
(2) | 「菱湖」は江戸時代後期の幕末の三筆といわれた書家で、越後国巻(現在の新潟市西蒲区)に生まれました。 |
3 | 駒字は「将棋金銀財宝説」が有力です。「玉将」は宝石を表す「玉」であるし、「金将・銀将」はそのまま金・銀の財宝です。では、「桂馬・香車」はともに大切なものを表していますが、それは何でしょうか。(記述式) | 香料 | 「桂馬」は「肉桂(にっけい)」で香料のニッキ(シナモン)。「香車」は文字通り香料を表します。つまり、かつては金銀とも交換されるぐらい「香料」の価値は高かったのです。 |
3 | 関根金次郎十三世名人由来の書体で、関根の出世駒とも、「関根錦旗」とも称された書体は、次のうちどれでしょうか。 (1)錦旗 (2)巻菱湖 (3)淇洲 (4)関根名人書 |
(3) | 「淇洲」は、竹内淇洲の書。竹内からその駒を譲り受けた関根がそれで常勝したので、「淇洲」が関根の出世駒といわれました。(4)関根名人書は、関根自身の書を駒師・豊島龍山が駒にしたものです。 |
4 | 江戸時代、棋譜の書き表し方は(1)説明式(2)数字記号と、十代将軍徳川家治が愛好した~記号がありました。(記述式) | いろは | いろは記号は、現在の1一を「い」、1二を「ろ」、1三を「は」と表記する方法です。 |
4 | 投了後に、相手の反則が確認された場合、勝負はどうなりますか。 (1)投了側が負け (2)反則した側が負け (3)棋譜をとっている場合は、反則側が負け、そうでない場合は投了側が負け |
(1) | 投了優先のルールです。 |
4 | これから入玉宣言法の問題を3問出題します。入玉宣言法を行使する場合は、宣言しようとする側の手番で、指さずに「宣言します」と言い、時計を止めて対局を停止させます。点数計算の対象になる駒について正しい説明はどれでしょうか。 (1)敵陣三段目内の味方の駒と持ち駒が対象になる (2)盤上にある味方の駒と持ち駒が対象である (3)味方の敵陣三段目の金と成り駒と持ち駒が対象である |
(1) | 点数の対象となるのは、玉を除く宣言側の持ち駒と敵陣3段目以内に存在する宣言側の駒のみです。 |
4 | 次のうち、正しい説明はどれでしょうか。 (1)宣言法は引き分けを告げる場合のみ (2)宣言法は勝利を告げる場合のみ (3)宣言法は勝利、または引き分けのどちらを告げる場合でも適用される |
(3) | 大駒5点、小駒1点として、31点以上あれば宣言側が勝ち、24点以上30点以下であれば持将棋引き分け(無勝負)になります。 |
4 | 次のうち、正しい説明はどれでしょうか。 (1)宣言された側は宣言を拒否できない (2)宣言された側は拒否して対局を続行できる (3)宣言法の条件を満たしていない場合、宣言を撤回できる |
(1) | 宣言された側は宣言を拒否できません。その代わり、一つでも条件を満たしていない場合は宣言側が負けになります。 |
5 | 川柳で「見物碁にたかり」といわれてしまうのはどのような状況の時でしょうか。 (1)入玉 (2)長考 (3)待った |
(1) | 入玉将棋になると、勝負がつくまで時間がかかるので、囲碁の方を見物している、というわけです。 |
5 | プロ棋士養成機関である「奨励会」の正式名称は「公益社団法人日本将棋連盟付属○○棋士奨励会」です。○○に入る文字は何でしょうか。 (1)新鋭 (2)新人 (3)新進 |
(3) | 新進棋士奨励会は昭和3年9月にアマチュアの愛棋家によって発足しました。 |
5 | 次の歩に関する言葉のうち加藤治郎名誉九段著の『将棋は歩から』に出てこないものはどれでしょうか。 (1)面打の歩 (2)紐歩 (3)位取りの歩 |
(3) | 「面打の歩」は味方の駒の利きを利用しながら敵駒の頭に歩を打つこと。「紐歩(ひもふ)」は味方の駒を支える歩を打つことです。 |
5 | と金で堅い囲いを攻めることを何というでしょうか。 (1)ノコギリ攻め (2)ヤスリ攻め (3)カナトコ攻め |
(2) | と金で敵の囲いをヤスリでじっくり削るように攻めることです。 |
5 | 囲碁と将棋の両方に使われる用語は、次のうちどれでしょうか。 (1)模様 (2)定跡 (3)平手 |
(1) | 定跡は、囲碁では「定石」と表します。 |
6 | かつてあった「オールスター勝ち抜き戦」で羽生善治名人が達成した最多勝ち抜き数の記録はいくつだったでしょうか。 (1)14 (2)16 (3)18 |
(2) | 平成11~12年時の記録です。 |
6 | 同時タイトル保持者で「三冠」を達成しているのは何人いるでしょうか。ただし、四冠以上を達成している棋士を除きます。 (1)2人 (2)3人 (3)4人 |
(2) | 升田幸三、森内俊之、渡辺明の3人です。 |
6 | 公式戦で通算千勝以上している棋士は、全部で何人いるでしょうか。 (1)8人 (2)9人 (3)10人 |
(1) | 達成順に大山康晴、加藤一二三、中原誠、米長邦雄、内藤國雄、有吉道夫、谷川浩司、羽生善治です。佐藤康光九段らが千勝に近づいています。 |
6 | 「年度対局数」1位は、羽生善治の89局(2000年度)ですが、2位はだれでしょうか。 (1)谷川浩司 (2)中原誠 (3)米長邦雄 |
(3) | 米長が88勝(1980年度)を挙げています。この記録は20年間も破られなかったのです。 |
6 | 現役最年長の加藤一二三九段は、順位戦で何回A級に昇級したでしょうか。 (1)3回 (2)5回 (3)7回 |
(2) | 加藤九段は昭和33年、37年、42年、44年、平成5年の計5回昇級しています。 |
7 | 第1回小学生名人戦で準優勝し、後にプロ棋士となったのはだれでしょうか。 (1)日浦市郎 (2)畠山成幸 (3)金沢孝史 |
(1) | 畠山成幸七段は第5回、金沢孝史五段は第9回の準優勝者でした。 |
7 | 第35回将棋大賞の升田幸三特別賞を受賞した故真部一男九段の「指していない手」は次のうちどれだったでしょうか。 (1)△2七銀 (2)△3四飛 (3)△4二角 |
(3) | 対戦相手は豊島将之四段で、体調不良のために指せなかった△4二角でした。 |
7 | 「陣屋事件」以後に陣屋旅館側が来訪を告げる太鼓を設置したことに由来する「陣太鼓」というペンネームを用いて観戦記を書いていた棋士は、だれでしょうか。 (1)高柳敏夫 (2)北楯修哉 (3)山本武雄 |
(3) | 山本武雄九段は読売新聞の菅谷北斗星の後を継いで観戦記を書き続け、昭和58年には盤側五十年の表彰を受けました。 |
7 | 今年2月に亡くなった丸田祐三九段は、昭和39年10月ににタテ歩取りからひねり飛車に回る手順で、画期的な新手を指しました。対戦相手はだれだったでしょうか。 (1)二上達也 (2)山田道美 (3)加藤一二三 |
(2) | 丸田九段(当時八段)の相手は、“打倒大山”の旗頭として知られた山田九段(当時八段)でした。相手の飛車をわざと成らせる▲9七角が丸田新手。以後、この指し方が定跡になりました。 |
7 | 平成26年にプロ編入試験に合格した今泉健司四段の試験将棋での勝敗をお答えください。(記述式) | 3勝1敗 | (1)宮本(○)(2)星野(○)(3)三枚堂(●)(4)石井(○)の各四段と戦いました。 |
8 | 中将棋の「金将」は現在の将棋と違って成ることができました。成るとどの駒になるでしょうか。 (1)太子 (2)獅子 (3)飛車 |
(3) | 中将棋は12×12マスの盤面です。22種類の駒で、駒数は92枚です。 |
8 | 明治二十年代の将棋を題材にした唱歌名はどれでしょうか。(作歌・高崎正風、作曲・上眞行) (1)将棊の盤 (2)将棊の駒 (3)将棊賛歌 |
(1) | 「将棊の盤」は小学唱歌。高崎は「紀元節」も作歌、上は「一月一日」も作曲しています。 |
8 | C級2組順位戦で降級点を2つ持った状態でC級1組に昇級した現役棋士はだれでしょうか。 (1)中田功 (2)岡崎洋 (3)窪田義行 |
(3) | 窪田六段は平成14年度に9勝1敗でC級1組に昇級しました。故人では、木下晃七段が昭和53年度に、やはり9勝1敗でC級1組に昇級しました。 |
8 | 『将棋文化史』の著者で、「天狗太郎」のペンネームで観戦記も執筆したのはだれでしょうか。 (1)清水孝晏 (2)山本亨介 (3)倉島竹二郎 |
(2) | 『将棋文化史』は日本将棋の歴史を体系的にまとめた初の棋書と言えるでしょう。選択肢の3人とも観戦記者として、よく知られています。倉島は作家、清水は元「将棋世界」編集長でした。 |
8 | 「将棋世界」誌に趣味など棋士のプライベート面を楽しくつづった故能智映氏のエッセー「棋士の楽しみ」を単行本化したときの書名は、次のうちどれでしょうか。 (1)愉快痛快棋士24時間 (2)愉快痛快棋士1ヶ月 (3)愉快痛快棋士365日 |
(3) | ユーモアあふれるエッセーで知られた能智氏は、新聞三社連合の名物記者でした。 |
9 | 盤駒が紙でできた「懐中将棋」が人気を博したのはいつからでしょうか。 (1)元禄年間 (2)享保年間 (3)文政年間 |
(1) | 値段が安く、持ち運びしやすいので、紙碁盤も売り出されました。 |
9 | 昭和33年3月までの段位免状の文面は、現在とは異なり、すべて「夙ニ将棋ニ○○ヲ有シ 研鑽年アリ 進境顕著ナルヲ認メ茲ニ(~段)ヲ允許ス」でした。○○に入る文字は何だったでしょうか。 (1)努力 (2)情熱 (3)趣味 |
(3) | 昭和33年4月からは段位の文面がすべて同じではなくなりました。愛棋家で作家の瀧井孝作氏が撰文しました。 |
9 | 平成11年に大山康晴賞を受賞した、新国劇の俳優はだれですか。 (1)辰巳柳太郎 (2)島田正吾 (3)緒形拳 |
(2) | 新国劇の「王将」では関根金次郎十三世名人の役を演じました。 |
9 | 「社会に明るい希望と活力を与えると共に、市民の誇りとして敬愛され、市の名前を高めたもの」として清水市代女流六段に市民栄誉賞を贈った自治体はどこでしょうか。 (1)小平市 (2)東村山市 (3)東久留米市 |
(2) | 清水女流六段は平成12年11月に東京の東村山市民栄誉賞を受賞しました。 |
9 | 昭和32年9月号から翌33年12月号まで刊行された月刊誌「将棋文化」(ダイヤモンド社刊)の発行人は、だれだったでしょうか。 (1)大山康晴 (2)升田幸三 (3)木村義雄 |
(3) | 木村十四世名人は毎号、各界の著名人と対談をしたり、定跡講座を執筆しました。 |
10 | (1)羽生善治 (2)渡辺明 (3)糸谷哲郎 |
(1) | 第2期竜王戦七番勝負、3勝3敗1持将棋で迎えた第8局で、羽生六段が島竜王を破りました。 |
10 | 最年少竜王の記録を持っているのはだれでしょうか。 (1)羽生善治 (2)渡辺明 (3)糸谷哲郎 |
(1) | 最年少竜王の羽生は19歳3カ月、2位の渡辺は20歳8カ月です。 |
10 | 竜王に就位した棋士は何人いるでしょうか。 (1)7人 (2)8人 (3)9人 (4)10人 |
(2) | 就位順に島朗、羽生善治、谷川浩司、佐藤康光、藤井猛、森内俊之、渡辺明、糸谷哲郎の8人です。 |
10 | 竜王戦七番勝負で初めて海外対局を行った場所はどこでしょうか。 (1)ロンドン(イギリス) (2)バンコク(タイ) (3)フランクフルト(ドイツ) |
(3) | 第3期(平成2年)第1局に東西ドイツの統一がなった直後のフランクフルトで、羽生善治竜王―谷川浩司王位・王座(勝ち)戦を行いました。 |
10 | アメリカでは、竜王戦七番勝負は何回行われていますか。 (1)4回 (2)3回 (3)2回 |
(1) | アメリカでは、ロサンゼルス・ニューヨーク・サンフランシスコ・ハワイの4回行われています。 |
11 | 第1期女流名人位決定戦の組み合わせとして正しいのは次のうちどれでしょうか。 (1)蛸島彰子―関根紀代子 (2)蛸島彰子―多田佳子 (3)蛸島彰子―寺下紀子 |
(3) | 蛸島女流三段が2―0で寺下紀子女流初段に勝ち、第1期女流名人位に就位しました。 |
11 | 清水市代女流六段のタイトル獲得数は女流歴代1位です。いくつでしょうか。 (1)40期 (2)43期 (3)45期 |
(2) | 清水のタイトル獲得数は、女流名人10、女流王将9、女流王位14、倉敷藤花10の合計43期です。 |
11 | 平成8年(1996年)、女流棋戦が初めて海外で行われた第18期女流王将戦第1局の場所はどこでしょうか。 (1)パリ(フランス) (2)アトランタ(アメリカ) (3)上海(中国) |
(2) | 平成8年、アメリカのアトランタ市では、オリンピックが開催されました。 |
11 | 女流六段は何人いるでしょうか。 (1)2人 (2)3人 (3)4人 |
(2) | 清水市代、中井広恵、関根紀代子(退役)の3人です。 |
11 | 里見香奈がアマチュアのころ、ある女流棋士から「毎日詰将棋を解くとよい」とのアドバイスを受けて実践しました。それはだれでしょうか。 (1)清水市代 (2)矢内理絵子 (3)高橋和 |
(3) | 高橋女流三段は子供への将棋普及に熱心で、「和の将棋かるた」などを刊行しています。 |
12 | 「将棋世界」誌で企画されたアマチュアとプロが平手で戦う企画「アマプロオープン戦」で、13局目に初めてプロに勝利したアマチュアはだれだったでしょうか。 (1)沖元二 (2)小池重明 (3)村井義夫 |
(2) | 昭和53年11月8日、小池アマ五段は飯野健二四段(どちらも当時)に勝ちましたが、それまでアマチュア側は12連敗していました。 |
12 | 現在詰将棋長編作ベスト10に最も多くの作品が入っている作者はだれでしょうか。 (1)橋本孝治 (2)添川公司 (3)駒場和男 |
(2) | 添川氏は3作、橋本氏は2作入っています。 |
12 | 江戸時代の詰将棋作家で、日本三大和算家(関孝和、建部賢弘と共に)の一人はだれでしょうか。 (1)添田宗太夫 (2)桑原君仲 (3)久留島喜内 |
(3) | 「和算」は日本独自に発達した数学です。 久留島喜内(くるしま・きない)の詰将棋作品集としては『将棋妙案』と『橘仙貼璧』があります。 |
12 | 五世名人伊藤宗印の詰将棋集は『将棋精妙』といいますが、俗に何といわれたでしょうか。 (1)と金図式 (2)ならず百番 (3)難問百番 |
(2) | 五世名人伊藤宗印の詰将棋集『将棋精妙』は「ならず(不成)百番」ともいわれ、不成の指し手が必ず含まれています。 |
12 | 詰将棋作家としても名高い内藤國雄九段の代表作で、映画のタイトル名が付けられている詰将棋作品は、次のうちどれでしょうか。 (1)駅馬車 (2)影武者 (3)ベン・ハー |
(3) | 若いころ、洋画「ベン・ハー」を見て、感動した内藤九段が約四十年後に完成した作品です。 |